上海神社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/27 08:56 UTC 版)

上海神社(シャンハイじんじゃ)はかつて、現在の中華人民共和国上海市虹口区に存在した神社である。祭神は天照大神、神武天皇、事代主命だった[1]。 所在地は「江湾路118号」[1]。
上海最初の神社は、1908年に長崎市出身の実業家で上海に料亭「六三亭」(場所は塘沽路346号)[2]を経営する白石六三郎が、日本庭園の「六三園」(場所は江湾路240号付近)[3]の敷地に諏訪神社を勧請したものだった[4]。1912年に琴平神社を合祀し、「滬上神社」と改名した[4]。しかし、1932年の第一次上海事変で全壊する[4]。
日本人の居留民会は上海海軍特別陸戦隊の向かい側に新たな敷地を用意し[4]、在上海日本国総領事館公使の石射猪太郎らが発起人となる形で上海神社が創建された[5]。境内には招魂社が併設され、1940年に境内が拡張された際に護国神社に昇格して、拡張された領域に護国神社の社殿が設けられた[4]。1944年には上海神社はさらに境内を拡張し、太平洋戦争(大東亜戦争)が終了した後に社殿を造営する予定と地元の日本語新聞に報じられた[4]。
太平洋戦争の終戦後、上海神社は閉鎖された。建物も取り壊され、遺構は現存しない[6]。
出典
- ^ a b “上海神社”. 海外神社(跡地)に関するデータベース). 神奈川大学日本常民文化研究所 非文字資料研究センター. 2025年4月12日閲覧。
- ^ 木之内誠『上海歴史ガイドマップ』大修館書店、2011年、127頁。
- ^ 松村茂樹「呉昌碩と白石六三郎―近代日中文化交流の一側面―」『大妻女子大学紀要.文系』第29号、大妻女子大学、1997年3月、127-142頁。 松村は庭園の名前を「六三花園」としている。
- ^ a b c d e f 稲宮康人「中国各地の租界と日本の神社景観」『非文字資料研究センターNews Letter』第49号、神奈川大学日本常民文化研究所 非文字資料研究センター、2023年3月20日、14-17頁。
- ^ “上海神社”. 東アジアの都市における歴史遺産の保護と破壊―古写真と旅行記が語る近代―. 学習院大学国際研究教育機構古写真プロジェクト. 2023年12月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年4月11日閲覧。
- ^ 木之内誠『上海歴史ガイドマップ』大修館書店、2011年、137頁。
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