三石郡の大塚牧場へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/13 05:20 UTC 版)
生まれた当初の豊平の発育状態は悪く、真駒内種畜場は翌1890年、浦河郡農会へ豊平を貸し付ける。さらに同会は郡内の生産者へ豊平を貸し付け、はじめは赤社心牧場が管理にあたったが1年足らずで返納し、次に三石郡本桐村の大塚牧場が管理にあたった。行く先々で厄介払いされた挙句、大塚牧場がやむなく引き取ったというのが実情であったという。 大塚牧場における豊平はもっぱら牧場主・大塚助吉の乗馬として使役され、終日屋外に放し飼いにされていた。繁殖期には自由交配用の種牡馬(巻き馬)として使役された。このとき豊平以外に数頭の道産子(内国種)の牡馬が巻き馬として放たれていたが、豊平はそれらの馬から激しい攻撃を受け、種付けに成功することはなかったとされる。
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