三回目の執政官(紀元前465年)
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「ティトゥス・クィンクティウス・カピトリヌス・バルバトゥス」の記事における「三回目の執政官(紀元前465年)」の解説
紀元前465年、ティトゥス・クィンクティウスは三度目の執政官に就任した。同僚執政官のクィントゥス・ファビウス・ウィブラヌスはアエクイに対して和平交渉の使節を送ったが失敗した。このため、両執政官はアエクイとの戦いに臨み、アルギドゥス山の近くでこれに勝利した。アエクイは戦術を変更し、すぐにローマ領土を襲撃して略奪し荒廃させた。これがローマ市民の間の恐怖を引き起こし、戦争は行き詰ってしまった。 ローマでは、ティトゥス・クィンクティウスが市民を落ち着かせ、略奪者に対する軍を組織した。同年にティトゥス・クィンクティウスは人口調査を実施している。
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