万福寺 (行方市)とは? わかりやすく解説

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万福寺 (行方市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/12 00:29 UTC 版)

万福寺
所在地 茨城県行方市羽生745
位置 北緯36度08分35.9秒 東経140度23分05.9秒 / 北緯36.143306度 東経140.384972度 / 36.143306; 140.384972座標: 北緯36度08分35.9秒 東経140度23分05.9秒 / 北緯36.143306度 東経140.384972度 / 36.143306; 140.384972
山号 雷電山
院号 慈心院
宗派 天台宗
本尊 阿弥陀如来
創建年 平安時代末期
開基 平貞能
中興年 寛正5年(1464年
中興 忠伝
文化財 木造阿弥陀如来立像及両脇侍像、阿弥陀堂、仁王門(以上、茨城県指定文化財)他
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万福寺(まんぷくじ)は、茨城県行方市にある天台宗寺院

歴史

平安時代末期、平貞能の開基である。貞能は平清盛の家臣であったが、治承・寿永の乱を生き延び、最終的に縁者の宇都宮朝綱に投降して宇都宮氏が身柄を預かることになった。北関東には小松寺をはじめ、貞能開基とされる寺がいくつもある[1]

その後に寺運衰微したが、1464年寛正5年)に忠伝によって中興された[1]

当寺の仁王門は元々あったものではなく、1724年享保9年)に現在の稲敷市にある逢善寺のものを譲り受けたものである。これは当時の住職快尊が逢善寺にかつて居た縁による[1]

文化財

  • 木造阿弥陀如来立像及両脇侍像(茨城県指定文化財 昭和33年3月12日指定)[2]
  • 阿弥陀堂(茨城県指定文化財 昭和45年9月28日指定)[3]
  • 仁王門(茨城県指定文化財 昭和45年9月28日指定)[4]
  • 萬福寺木造阿弥陀如来立像(行方市指定文化財 平成15年8月11日指定)[5]
  • 萬福寺金剛力士阿形吽形(行方市指定文化財 平成23年5月26日指定)[6]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b c 稲葉博 著『関東古社名刹の旅2(群馬・栃木・茨城編)』読売新聞社、1987年、196-197p
  2. ^ 木造阿弥陀如来立像及両脇侍像茨城県
  3. ^ 阿弥陀堂茨城県
  4. ^ 仁王門茨城県
  5. ^ 萬福寺木造阿弥陀如来立像行方市
  6. ^ 萬福寺金剛力士阿形吽形行方市

参考文献

  • 稲葉博 著『関東古社名刹の旅2(群馬・栃木・茨城編)』読売新聞社、1987年



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