七イマーム派が認めないイスマーイール系イマーム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/26 13:45 UTC 版)
「七イマーム派」の記事における「七イマーム派が認めないイスマーイール系イマーム」の解説
以下に挙げる人物はムハンマド・イブン・イスマーイールの子孫で、ファーティマ朝の王統につながる。多くのイスマーイール派に属する派は彼らをイマームに数えるが、七イマーム派はこれを認めず、特にカルマト派は彼らを出自の疑わしい異端であるとし、ファーティマ朝成立後もそのイマームを承認することを拒み、マフディー再来説に固執した。 Ahmad al-Wafi (Abadullah) (813年-829年) Muhammad at-Taqi (Ahmed ibn Abadullah) (829年-840年) Radi Abdullah (840年-881年) ウバイドゥッラー・アッマフディ・ビッラー (881年-934年) (ファーティマ朝建国者)
※この「七イマーム派が認めないイスマーイール系イマーム」の解説は、「七イマーム派」の解説の一部です。
「七イマーム派が認めないイスマーイール系イマーム」を含む「七イマーム派」の記事については、「七イマーム派」の概要を参照ください。
- 七イマーム派が認めないイスマーイール系イマームのページへのリンク