ヴィラ・レアルとは? わかりやすく解説

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ヴィラ・レアル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/30 18:37 UTC 版)

ヴィラ・レアル
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所属する県 ヴィラ・レアル県
面積 378.8 km²
人口 49,571(2021年)[1]
人口密度 132人/km²
所属する教区数 30
自治体首長 ルイ・サントス
住民呼称 ビラレアレンセ
都市の休日 6月13日

ヴィラ・レアルVila Real [ˈvilɐ ʁiˈal] ( 音声ファイル))は、ポルトガルヴィラ・レアル県の都市。30の教区を持つ基礎自治体でもある。コルゴ川とカブリル川の合流地点を見下ろす高台の上にある。

気候

ヴィラ・レアルはマラン山地とアルヴァン山地に囲まれているため、気候は両極端である。冬は長く寒く、気温が0℃以下になることがある。冬に少なくとも一度は降雪が見られる。夏は非常に暑い。このような気候のため『冬が9ヶ月あり、地獄が3ヶ月ある。』とも言われている。

歴史

旧石器時代より人の定住があった。ローマ時代には定住地に礼拝堂があったことがわかっているが、ローマ衰退後の蛮族の侵入、ムーア人の半島征服で人口は激減した。

1096年、ポルトゥカーレ伯エンリケは、この地域への再移住を促進するためコンスタンティン・デ・パノイアスに憲章を授けた。アフォンソ3世が新たな憲章を授けた際にはヴィラ・レアル・デ・パノイアス(Vila Real de Panóias)が建設されていたとみなされているが、正式な発祥はディニス1世が憲章を授けた1289年となっている。

ヴィラ・レアルはポルトブラガンサ間、シャーヴェス=ヴィゼウ間の交通路上の好適地であった。19世紀には町の地位を獲得し、20世紀には県都となった。1922年には司教座が開設され、1925年には都市に昇格した。1986年、トラス=オス=モンテス・エ・アルト・ドウロ大学が開校した。

姉妹都市

出身の著名人

出典

  1. ^ INE. “Population and Housing Census - 2021 Census”. tabulador.ine.pt. National Institute of Statistics. 2023年1月19日閲覧。

外部リンク


ヴィラ=レアル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/08 08:15 UTC 版)

Vila-real

  


 バレンシア州
 カステリョー県/カステリョン県
面積 55.1 km²
標高 42m
人口 50,306 人 (2016年)
人口密度 912.99 人/km²
住民呼称 (男性)vila-realencs
(女性)vila-realenques
(西語)villarrealenses
言語地域 バレンシア語
自治体首長
(2015年)
ホセ・ベンリョシュ・フェルナンデス(PSPV-PSOE)
Vila-real
スペイン内ヴィラ=レアルの位置
Vila-real
カステリョン県内ヴィラ=レアルの位置

北緯39度56分16秒 西経0度06分05秒 / 北緯39.93778度 西経0.10139度 / 39.93778; -0.10139座標: 北緯39度56分16秒 西経0度06分05秒 / 北緯39.93778度 西経0.10139度 / 39.93778; -0.10139

ヴィラ=レアルバレンシア語: Vila-real)またはビジャレアルスペイン語: Villarreal)は、スペインバレンシア州カステリョン県ムニシピ(基礎自治体)。公式名はバレンシア語表記のVila-real

名称

サン・ジャウメ教会

Villa/Vilaは「町」、Realは「王の」という意味であり、スペイン語のVillarreal(ビジャレアル)、バレンシア語のVila-real(ヴィラ=レアル)とはいずれも「王の町」という意味である。アラゴン王のジャウマ1世によって公式に町が建設されたことが名称の由来である。スペインにはいくつか、この町と同様に「王の町」と称される町が存在する。フランコ独裁時代にはスペイン全土でスペイン語が唯一の公用語だったが、民主化後のスペイン1978年憲法で地域言語の地位が認められると、1980年代にはバレンシア語の名称を復興させる運動が始まり、2006年2月27日には市議会での満場一致の採決によってバレンシア語のVila-realが単独かつ唯一の公式名となった。

地理

面積は55.1平方キロメートル。2014年の人口は50,755人であり、その大部分は自治体域の10.72%を占める都市的地域に居住している。人口の点ではカステリョン県で2番目に大きな町であり、バレンシア州で15番目に大きな町である。約7キロ北東にカステリョン県都カステリョン・デ・ラ・プラナがあり、ヴィラ=レアルとカステリョンはミリャルス川で隔てられている。

歴史

レコンキスタ(再征服運動)の際には運動拠点のひとつとなった。アラゴン王国の王であるジャウマ1世がバレンシア地方をアラブ人から奪還し、1274年2月20日、ジャウマ1世によって公式に町が築かれた。後にこの地域のオレンジ生産の中心地となり、現代ではセラミック産業の中心地でもある。このセラミック産業のおかげで、スペインの企業上位500社のうち4社がヴィラ=レアルに所在する。

スポーツ

エスタディオ・デ・ラ・セラミカ

ヴィラ=レアルを本拠地とするサッカークラブにビジャレアルCFがある。ビジャレアルCFは1923年に設立され、1956年にバレンシア州リーグからリーガ・エスパニョーラに初参加し、1998年に全国1部のプリメーラ・ディビシオンに初昇格した。なお、2006年に自治体の公式名がバレンシア語のVila-realに改称されてからも、ビジャレアルCFはスペイン語名のVillarrealをクラブ名として使用し続けている。

2006年にはUEFAチャンピオンズリーグでベスト4となり、2007-08シーズンにはプリメーラ・ディビシオンで2位となった。更に、2021年にはUEFAヨーロッパリーグ2020-21シーズンで優勝した。ビジャレアルCFはエスタディオ・デ・ラ・セラミカをホームスタジアムとしており、自治体人口の約50%にあたる25,000人を収容できる。2010 FIFAワールドカップにはビジャレアルCF所属のジョアン・カプデビラスペイン代表として出場して優勝した。

人口

ヴィラ=レアルの人口推移 1857-2013
出典:INE(スペイン国立統計局)1900年 - 1991年[1]、1996年 - [2]

政治

首長一覧(1979-)
任期 首長名 政党
1979–1983 バウティスタ・カルセリェル・フェレール UCD
1983–1987 エンリケ・アジェト・フォルトゥニョ PSPV-PSOE
1987–1991 エンリケ・アジェト・フォルトゥニョ PSPV-PSOE
1991–1995 エンリケ・アジェト・フォルトゥニョ PSPV-PSOE
1995–1999 マヌエル・ビラノバ・ゴテリス PPCV
1999–2003 マヌエル・ビラノバ・ゴテリス PPCV
2003–2007 マヌエル・ビラノバ・ゴテリス PPCV
2007–2011 フアン・ホセ・ルベルト・ネボト PPCV
2011–2015 ホセ・ベンリョシュ・フェルナンデス PSPV-PSOE
2015–2019 ホセ・ベンリョシュ・フェルナンデス PSPV-PSOE
2019–2023 n/d n/d
2023– n/d n/d

出身者

フランシスコ・タレガ

姉妹都市

脚注

外部リンク




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