ヴィオラ・ダ・ガンバの復興者として
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「パウル・グリュンマー」の記事における「ヴィオラ・ダ・ガンバの復興者として」の解説
1925年に『ヴィオラ・ダ・ガンバ演奏法』を、1928年に "Viola da Gamba Schule für Violoncellisten und Freunde der Viola ga Gamba" を出版し、ヴィオラ・ダ・ガンバの復興に尽力した。チェンバロ奏者ワンダ・ランドフスカとのリサイタルなどのソロ活動を行うとともに、他の古楽器とのアンサンブルも行っており、チェンバロ奏者のギュンター・ミラン、ヴィオラ・ダモーレ奏者にしてグリュンマーの配偶者であるマルゴ・グリュンマー、同じくヴィオラ・ダ・ガンバ奏者である娘のシルヴィアらと共演した。グリュンマーは、古い音楽をオリジナルの楽器で演奏することを志向していた。 また、グリュンマーはマルタン・ベルトーらのチェロの通奏低音ソナタについて、本来はヴィオラ・ダ・ガンバのために作曲されたと主張したが、チェロ研究家のエリザベス・カウリングはこれを否定している。
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