ワシーリー・グラゴレフとは? わかりやすく解説

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ワシーリー・グラゴレフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/14 04:06 UTC 版)

ワシーリー・グラゴレフВасилий Васильевич Глаголев1898年2月21日 - 1947年9月21日)は、ソ連の軍人。大将。ソ連邦英雄

経歴

カルーガ出身。1916年、ロシア帝国軍に召集され、兵卒として第一次世界大戦に従軍。1918年から赤軍に入隊し、ロシア内戦時、ウラルと北カフカースで戦闘に参加した。内戦終結後、小隊長、中隊長、騎兵連隊長、狙撃師団長を歴任し、その後、参謀業務に就いた。バキン指揮課程(1921年)、指揮要員完全化課程(1926年、1931年)、M.V.フルンゼ名称軍事アカデミーロシア語版英語版附属上級指揮要員完全化課程(1941年)を修了。

独ソ戦時、第42騎兵師団長(1941年7月~1942年2月)、第72狙撃師団長(1942年2月~10月)、第176狙撃師団長(1942年10月~11月)、第10親衛狙撃軍団長(1942年11月~1943年2月)、第9軍司令官(1943年2月~3月)、第46軍司令官(1943年3月~1944年5月)、第31軍司令官(1944年5月~12月)、独立親衛空挺軍から改組された第9親衛軍司令官(1945年1月~終戦)を歴任した。クリミア、カフカース、クルスクの戦い、ドニエプルの戦い、ウクライナ解放作戦、白ロシア、バラトン、ウィーンプラハ作戦に参加した。ドニエプル強行渡河と橋頭堡確保の功績に対して、ソ連邦英雄の称号が授与された。

戦後、第9親衛軍司令官として留まり、1946年4月から空挺軍司令官。1947年9月、現職のまま死亡した。

パーソナル

ソ連邦英雄。レーニン勲章2個、赤旗勲章2個、一等スヴォーロフ勲章2個、一等クトゥーゾフ勲章を受章。

外部リンク

先代
イワン・ザテヴァーヒン
ソ連空挺軍司令官
1946年 - 1947年
次代
アレクサンドル・カザンキン



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