ワシーリー・カラファーティ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/19 07:00 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動| ワシーリー・パヴロヴィチ・カラファーティ | |
|---|---|
| 生誕 | 1869年2月10日 | 
| 出身地 |   | 
  
| 死没 |  1942年5月20日(73歳没) | 
  
| 学歴 | サンクトペテルブルク音楽院 | 
| ジャンル | クラシック音楽 | 
| 職業 | 作曲家 | 
ワシーリー・パヴロヴィチ・カラファーティ(または「カラファティ」とも、Василий Павлович Калафати・英:Vasily Kalafati, *1869年2月10日 - †1942年3月20日)は、ロシア帝国末期およびソ連邦建国期の作曲家で音楽教師。
経歴
1986年にクリミアのイェフパトリヤにギリシャ系の教育者、実業家の家庭に生まれる。最初に音楽の教育を受けたのは8歳であった。ピアノを弾く一方で作曲も学んだ。
その後 サンクトペテルブルク音楽院のニコライ・リムスキー=コルサコフの作曲クラスでまなび、1899年に卒業した。1906~1929年、カラファーティは同音楽院で対位法を教授した(1913年から教授)。彼の学生には、ボリス・アサフィエフ、ウゼイル・ハジベヨフ、ヘイノ・エッレル、ウラディーミル・シチェルバチョフ、マリア・ユーディナ、ヴラディミール・ツィビン、ロマノス・メリキャン、ビクトル・トランビツキー、ドミートリイ・ショスタコーヴィチなどがいる。
作曲作品
作曲様式は恩師リムスキー=コルサコフに倣っており、音楽作品は未だにほとんど顧慮されてはいないが、それでも当時のロシアの重要な音楽教師であり、作曲家であった。作曲家としては次のような作品を残している。
- 歌劇《ジプシー》(プーシキン原作)
 - 交響曲イ短調
 - 交響詩《伝説》(シューベルト生誕100周年記念国際作曲コンテストの提出作品)
 - 演奏会用序曲
 - 管弦楽のためのポロネーズ
 - 室内楽曲(複数)
 - ピアノ曲(複数。とりわけ一連のピアノ・ソナタ)
 - 歌曲(複数)
 
レニングラード包囲戦の展開中に死去した。
脚注
固有名詞の分類
| 近現代の作曲家 | 
ワシーリー・カラファーティ クルト・ヘッセンベルク ウィリアム・ロイド・ウェバー ゲイル・トヴェイト キリルス・クレーク | 
| ロマン派の作曲家 | 
ワシーリー・カラファーティ チャールズ・ヒューバート・パリー アレクサンドル・ギルマン シャルル・グノー キリルス・クレーク | 
| ロシアの作曲家 | 
ワシーリー・カラファーティ イェフィム・ゴリシェフ フョードル・ケーネマン アレクサンドル・チェレプニン ボリス・ティシチェンコ | 
| ソビエト連邦の作曲家 | 
ワシーリー・カラファーティ ダヴィッド・アシュケナージ トフィク・クリーエフ フランギス・アリ=ザデー ボリス・ティシチェンコ | 
| ウクライナの作曲家 | 
ワシーリー・カラファーティ イェフィム・ゴリシェフ イサーク・ドゥナエフスキー サムイル・マイカパル セミヨン・ボガティレフ | 
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