レファアト・アラリール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/27 01:45 UTC 版)
レファアト・アラリールもしくはレファアト・アル=アリイール(アラビア語: رفعت العرعير、転写: Rifaʿat al-ʿAriʿīr、一般的英字表記: Refaat Alareer、1979年9月23日 - 2023年12月6日)は、パレスチナの作家、詩人、教授、活動家。
略歴
アラリールは、イスラエルによるガザ地区占領下の1979年にガザ市で生まれた。2001年にガザ・イスラーム大学で英語・英文学の学士号、2007年にユニバーシティ・カレッジ・ロンドンで比較文学の修士号、2017年にマレーシアプトラ大学より英文学の博士号を取得した。[1]
業績
パレスチナの短編集「Gaza Writes Back」 (2014) [2]、「Gaza Unsilenced」 (2015)[3]を編集した。インタビューで、「Gaza Writes Backは、将来の世代に証言を残す試みだ」と述べている[4]。
2007年[5]、ガザ・イスラーム大学の教授となり、世界文学と文芸創作を教えた[6]。ガザや難民キャンプに生きるパレスチナの若者の声を拡張することを目的として、「We Are Not Numbers」を共同設立[7]。経験豊富な作家とガザの若い作家をつなげ、抵抗手段としての語る力、書く力の醸成に尽くした[8]。
殺害
2023年12月6日、兄と兄の子供1人、妹と妹の3人の子供とともにイスラエル軍の空爆で死亡した。ユーロ地中海人権モニター(Euro-Med Human Rights Monitor)は、爆破の様子から意図的に標的にされたとの声明を発表した。また、爆破前に数週間にわたって、イスラエル側からオンラインや電話で殺害の脅迫を受けた模様であると述べている[9]。
If I must die
アラリールの詩「If I must die」(もし私が死なねばならないなら)は、殺害後に拡散され、40以上の言語に翻訳されている[10]。「If I must die」は2011年に書かれた[11]。殺害の1カ月前である2023年11月に、本人がSNSのプロフィール欄に載せ広く知られるようになった[12]。
出典
- ^ “Refaat Alareer”. 2023年12月24日閲覧。
- ^ “Gaza Writes Back”. 2023年12月24日閲覧。
- ^ “Gaza unsilenced”. 2023年12月24日閲覧。
- ^ “The Story Behind ‘Gaza Writes Back’”. 2023年12月24日閲覧。
- ^ “Poet and scholar Refaat Alareer has been killed by an Israeli airstrike.”. 2023年12月24日閲覧。
- ^ “Rafaat Alareer”. 2023年12月24日閲覧。
- ^ “Prominent Gaza professor and writer killed in airstrike, weeks after telling CNN he and his family had ‘nowhere else to go’”. 2023年12月24日閲覧。
- ^ “Tributes to Refaat Alareer, killed Dec. 9, 2023”. 2023年12月24日閲覧。
- ^ “Israeli Strike on Refaat al-Areer Apparently Deliberate”. 2023年12月24日閲覧。
- ^ “Watch Brian Cox read “If I Must Die” by murdered Palestinian poet Refaat Alareer.”. 2023年12月24日閲覧。
- ^ “If I must die”. 2023年12月24日閲覧。
- ^ ““If I must die, you must live to tell my story…”: Israel targets and kills beloved poet Refaat Alareer”. 2023年12月24日閲覧。
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