ルイーズ・ド・コリニーとは? わかりやすく解説

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ルイーズ・ド・コリニー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 16:30 UTC 版)

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ルイーズ・ド・コリニー
Louise de Coligny
オラニエ公妃

出生 (1555-09-23) 1555年9月23日
フランス王国、シャティロン・コリニー(現ロワレ県
死去 (1620-11-13) 1620年11月13日(65歳没)
フランス王国フォンテーヌブロー
埋葬 ネーデルラント連邦共和国デルフト、新教会
配偶者 シャルル・ド・テリニー
  オラニエ公ウィレム1世
子女 フレデリック・ヘンドリック
家名 コリニー家
父親 ガスパール・ド・コリニー
母親 シャルロット・ド・ラヴァル
宗教 ユグノー
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ルイーズ・ド・コリニーLouise de Coligny, 1555年9月23日 - 1620年11月13日)は、オランダ総督ウィレム1世の4度目の妃。フランス貴族で軍人のガスパール・ド・コリニーとシャルロット・ド・ラヴァルの娘。父と同じくユグノーとして育った。

生涯

シャティロン・コリニー(現在のロワレ県)に生まれ、17歳の時シャルル・ド・テリニーと結婚した。しかし、1572年に父ガスパールと夫はともにサン・バルテルミの大虐殺で殺された。1583年4月12日、ウィレムとアントウェルペンで再婚した。翌年、フレデリック・ヘンドリックを生んだ。ウィレムの死後は、自身の子供たちと、ウィレムが3度目の妻シャルロットとの間にもうけた娘たちを育てた。1620年、フォンテーヌブローで死去した。




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