ルイス・カルロス・ブローロ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/09 12:48 UTC 版)
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名前 | ||||||
本名 | ルイス・カルロス・ブローロ | |||||
ラテン文字 | Luiz Carlos Brollo | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1962年11月26日(57歳) | |||||
出身地 | サンパウロ州 | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | GK | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ブローロこと、ルイス・カルロス・ブローロ(Luiz Carlos Brollo、1962年11月26日 - )は、ブラジル出身のサッカー指導者(フィジカルコーチ)。
来歴
ニカノール政権下時代の1996年に柏レイソルのフィジカルコーチ(フィジコ)として来日。翌1997年もフィジコとしてニカノールを支える。
1998年シーズン、ニカノールが柏を退団し、ヴェルディ川崎(当時)の監督に就任した為にブローロも共にV川崎へと移りフィジコを務める。 シーズン途中にニカノールがV川崎を解任されるとブローロもその後ブラジルへと戻り、古巣のグアラニ、サントスといったクラブでフィジコとして活躍。
2002年、西野朗がガンバ大阪の監督に就任すると同時にブラジルからブローロを呼び寄せ、以後西野の長期政権を影で支えることとなる。 ちなみに西野とは柏時代にヘッドコーチとフィジコという旧知の間柄であった。2011年、西野のガンバ大阪退団に伴いG大阪を退団。
2012年6月、西野が新監督となったヴィッセル神戸のフィジカルコーチに就任した。
2014年からは名古屋グランパスのフィジカルコーチに就任[1]。2015年末に退任。
指導歴
- 1986年 - 1989年
パウリスタFC
- 1990年
タウベートEC
- 1991年 - 1994年
エスポートクラブ
- 1994年 - 1995年
グアラニFC
- 1996年 - 1997年
柏レイソル
- 1998年
ヴェルディ川崎
- 1999年
グアラニFC
- 2000年
サントスFC
- 2001年
ECジュベントゥージ
- 2002年 - 2011年
ガンバ大阪
- 2012年 - 2013年
ヴィッセル神戸
- 2014年 - 2015年
名古屋グランパス
- 2019年 -
横浜FC
全てフィジカルコーチとしての指導
脚注
- ^ “2014シーズントップチームコーチングスタッフのお知らせ”. 名古屋グランパスエイトオフィシャルサイト. (2013年12月19日) 2013年12月19日閲覧。
- ^ “ブローロ氏 フィジカルコーチ就任お知らせ” (プレスリリース), 横浜FC, (2019年1月11日) 2019年11月19日閲覧。
関連項目
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- ルイス・カルロス・ブローロのページへのリンク