ラピド (仮装巡洋艦)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ラピド (仮装巡洋艦)の意味・解説 

ラピド (仮装巡洋艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/12 02:28 UTC 版)

ラピド (Rapido) はスペイン海軍仮装巡洋艦。元は1889年に建造されたハンブルク・アメリカライン(en)の客船「コロンビア (SS Columbia)」であり、1898年米西戦争で仮装巡洋艦とするためスペイン海軍が購入した[1]。そして、武装され「ラピド」と改名されて、アメリカアジア艦隊撃破と4,000名のフィリピンへの増援部隊輸送の任を負ったManuel de Camara少将率いるフィリピン救援部隊の一員となった[2]。Camaraの戦隊は戦艦ペラヨ」、装甲巡洋艦エンペラドル・カルロス5世」、仮装巡洋艦「Patiota」、駆逐艦「アンダズ」、「オサド」、「プロセルピナ」、輸送船「ブエノスアイレス」、「パナイ」、「アルフォンソ12世」、「アントニオ・ロペス」、給炭艦4隻と「ラピド」で構成され、1898年6月16日にカディスから出撃した[3]

戦隊は1898年6月17日にジブラルタルを通過し[4]カリブ海へ単独で向かう「アルフォンソ12世」、「アントニオ・ロペス」は分離された。)、1898年6月26日にエジプトのポートサイドに到着[5]。Camaraは石炭積み替えの許可を求めたが、エジプトの中立に対する懸念からそれは6月30日に不許可となった[5]

Camaraの戦隊は1898年7月5日にスエズに着いたが[6]、そのときすでにパスクワル・セルベラ中将の艦隊はサンチャゴ・デ・キューバ海戦で殲滅され、サンチャゴ・デ・キューバを封鎖していたアメリカ艦隊が自由になっていた。スペイン沿岸の安全に対する不安から1898年7月7日にスペインの海軍大臣はCamaraの戦隊を呼び戻した[7]。そして、戦隊は1898年7月17日にスエズを離れてスペインへ向かい、1898年7月25日に戦隊は解散した8[8]

1898年8月に戦争が終結すると、「ラピド」は民間船に戻った。日露戦争中にはロシア海軍の仮装巡洋艦「テレク」となった。

1907年解体[1]

脚注

参考文献

  • Cervera Y Topete, Pascual. Office of Naval Intelligence War Notes No. VII: Information From Abroad: The Spanish-American War: A Collection of Documents Relative to the Squadron Operations in the West Indies, Translated From the Spanish. Washington, D.C.: Government Printing Office, 1899.
  • Nofi, Albert A. The Spanish-American War, 1898. Conshohocken, Pennsylvania:Combined Books, Inc., 1996. ISBN 0938289578.

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ラピド (仮装巡洋艦)」の関連用語

ラピド (仮装巡洋艦)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ラピド (仮装巡洋艦)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのラピド (仮装巡洋艦) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS