きむらはじめ (漫画原作者)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > きむらはじめ (漫画原作者)の意味・解説 

きむらはじめ (漫画原作者)

(ラデック・鯨井 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/12 03:31 UTC 版)

きむら はじめ1946年1月3日 - 2004年12月7日)は、漫画原作者。本名菅伸吉(すが しんきち)。きむらはじめ以外にも木村元(読み同じ)、勝鹿北星(かつしか ほくせい)、ラデック・鯨井(ラデック・くじらい)などのペンネームで活動していた[1][2]

人物

千葉県生まれ。1967年小樽商科大学卒業後、電通に入社[3]。PR担当として働く傍ら、漫画原作を手がけるようになる。代表作は、『ゴルゴ13』、『なんか妖かい!?』、『ホットDOC』、『MASTERキートン』、『SEED』など。歴史、国際情勢、文化人類学動物行動学、環境保護[4]などの幅広い取材知識を元にした、人情味あるストーリーが特徴であった。

2004年12月7日、癌で死去、享年58。葬儀は無宗教で献花のみ親族を中心に行われお礼返し(香典返しにあたるもの)につやまあきひことの共作「マジンジラ[2]」が手渡された。

表舞台に立つことは無かったが、自然保護活動家として地道な活動に参加していた[5]

長生高校時代の友人がスモンによる薬害被害を受け、彼女の半生が描かれた『明るいちょんちゃん』の復刻に向けて2001年頃メンバーの一人として携わった[6]

死後の『週刊文春』2005年5月26日号で、『MASTERキートン』の単行本が絶版状態にあると報じられた。作画の浦沢直樹と担当編集者の長崎尚志は連載中期から、きむらから送られてくる原作をほとんど使用せずに描いていたことから、著作者表示と印税の分与を変更しようとしたが、これに電通時代からのきむらの友人である雁屋哲が異議を唱え、当時『ビッグコミックスピリッツ』編集長であった長崎を糾弾したことから、長崎が小学館を退社し、浦沢を連れて講談社へ移籍するトラブルへ発展していた。使われずに捨てられていたとはいえ、原作自体は書き続けていたこともあり、後に同作が「完全版」で再刊された際には、勝鹿と長崎・浦沢が連名で「脚本」として表記されている。(詳細はMASTERキートン#著作者表示の変更についての項目を参照)

代表作

脚注

  1. ^ 『SEED』全10巻(ヤングジャンプ・コミックスBJ)カバー折り返し解説文より
  2. ^ ラデック・鯨井の取材裏話
  3. ^ きむら はじめさんと「ゴルゴ 13」”. serifugyakuyunyuu.com. 2023年9月29日閲覧。
  4. ^ 福岡正信を私淑し様々な環境問題勉強会に参加していた。
  5. ^ 上岡裕らのエコロジーオンライン[1]など。
  6. ^ 『明るいちょんちゃん : 薬害地獄に見つけた笑顔』「明るいちょんちゃん」復刻会、2001年3月31日、240頁。 

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「きむらはじめ (漫画原作者)」の関連用語

きむらはじめ (漫画原作者)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



きむらはじめ (漫画原作者)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのきむらはじめ (漫画原作者) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS