ヤムガイとは? わかりやすく解説

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ヤムガイ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/05 10:10 UTC 版)

ヤムガイYamuγai、? - ?)は、モンゴル帝国に仕えた将軍の一人で、バルグト部の出身。『元史』などの漢文史料では唵木海(ǎnmùhǎi)と記される。


  1. ^ 『元史』巻122列伝9唵木海伝,「唵木海、蒙古八剌忽䚟氏、与父孛合出倶事太祖、征伐有功。帝嘗問攻城略地、兵仗何先、対曰『攻城以炮石為先、力重而能及遠故也』。帝悦、即命為炮手。歳甲戌、太師国王木華黎南伐、帝諭之曰『唵木海言、攻城用炮之策甚善、汝能任之、何城不破』。即授金符、使為隨路炮手達魯花赤。唵木海選五百餘人教習之、後定諸国、多賴其力。太宗即位、留為近侍、以講武芸。歳壬辰、従攻河南有功。壬子、憲宗特授虎符、升都元帥。癸丑、従宗王旭烈兀征剌里西番・斜巨山・桃里寺・河西諸部、悉下之。卒、子忒木台児以従戦功授金符、襲炮手総管。至元十年、修立正陽東西二城、置炮二百餘座、与宋人戦、卻之。十三年、従丞相伯顔伐宋、駐軍臨安之阜亭山、同忙古歹等八人率甲三百入宋宮、取傳国宝。宋太后請解兵延見内殿、期明日奉宝乞降、至期、果遣賈余慶等奉宝至軍前。以功授行省断事官、復令其子忽都答児襲炮手総管。十四年、進昭勇大将軍炮手万戸、佩元降虎符、鎮平江之常熟。有叛民擁衆自号太尉者、行省会諸軍討之、与忽都答児父子自為一軍、奮戈陥陣、斬賊酋戴太尉、擒朱太尉、帝嘉其功。十五年、兼平江路達魯花赤、尋遷徽州・湖州、卒。忽都答児後升炮手万戸、改授達魯花赤、卒」


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