ヤマセイの燕返し
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/07 16:36 UTC 版)
名剣士、佐々木小次郎の燕返しをもじって、ヤマセイの燕返しと言われたことがあった。これは山本が後方に置かれたときにも、直線に入ってビューンと伸びてくることからつけられたとされるもので、後に井上茂徳のニックネームとなる「鬼脚」に近い表現といえる。 この驚愕ともいえるヤマセイの燕返しに対抗したのが、埼玉の高倉登の「超」地脚先行。高倉は自らトップを引きつつもそのまま逃げ切ったことがあるという、人間離れともいうべき競走を幾度となく成し遂げた。その高倉に唯一対抗できたのは山本だったと言われている。それが証拠に、1951年は山本が3つ、高倉が2つの特別競輪を制覇し、ほぼ2人でタイトルを分け合った。
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