ミロスワフ・ヘルマシェフスキとは? わかりやすく解説

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ミロスワフ・ヘルマシェフスキ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/10 04:12 UTC 版)

ミロスワフ・ヘルマシェフスキ
インターコスモス宇宙飛行士
国籍 ポーランド
生誕 (1941-09-15) 1941年9月15日
リプニキ村
他の職業 パイロット
階級 ポーランド空軍准将
宇宙滞在期間 7日22時間02分
選抜試験 1976年
ミッション ソユーズ30号
記章

ミロスワフ・ヘルマシェフスキ(Mirosław Hermaszewski、1941年9月15日 - 2022年12月12日 [1])は、ポーランドの軍人、飛行士。ポーランド初にして唯一の宇宙飛行士

生涯

リプニキ村に生まれる。1961年、中学校を卒業し、デンブリン飛行士軍事航空学校に入校。卒業後、ポーランド防空軍の戦闘航空隊に勤務。

1969年〜1971年、カロル・スヴェルチェフスキ名称参謀本部アカデミー航空学部で学び、優秀で卒業。1975年、戦闘機航空連隊長に任命。

1976年、インターコスモス計画の宇宙飛行士候補に選抜。ガガーリン宇宙飛行士訓練センターで訓練を受けた。

1978年6月27日〜7月5日、ソユーズ30号サリュート6号で宇宙に滞在。7月5日、ソ連邦英雄称号とレーニン勲章を授与された。

宇宙飛行後、ポーランド軍で勤務を続ける。1981年の戒厳令導入時、救国軍事会議のメンバーに入る。(なお、ヘルマシェフスキは本人の了承を得ず勝手にメンバーリストに加えられたと語っている。[2]

1982年、モスクワのK.E.ヴォロシーロフ名称参謀本部軍事アカデミーを卒業し、飛行学校校長に任命。その後、ポーランド軍政治総局副総局長となり、1989年の政治将校制度廃止まで在任した。

一等グリュンワルド十字勲章を受章。ポーランド科学アカデミーのN.コペルニク・メダルを受賞。

脚注

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