ミクローシュ・エルデーイ
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ミクローシュ・エルデーイ(Miklós Erdélyi, 1928年2月9日 - 1993年9月1日)は、ハンガリーの指揮者[1][2][3][4][5][6]。
ブダペストの生まれ。リスト・フェレンツ音楽専門学校でヤーノシュ・フェレンチクに指揮法を学び、レジェー・コーカイの薫陶も受けた。1947年から指揮者として活動するようになり、1949年にはハンガリー放送合唱団の創設に参加。1951年にはハンガリー国立歌劇場のコレペティートルになり、1957年からは歌劇場での指揮を任されるようになった。1974年にカルロ・マリア・ジュリーニの代役としてベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮して成功をおさめ、ハンガリー国外への客演活動に弾みをつけた。1986年および1988年から1990年まで読売日本交響楽団に客演している。
ブダペストにて死去。
脚注
- ^ ミクローシュ・エルデーイ - Discogs
- ^ “Miklos Erdelyi”. 2013年8月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月9日閲覧。
- ^ ミクローシュ・エルデーイ - IMDb(英語)
- ^ ミクローシュ・エルデーイ - オールミュージック
- ^ (英語) The International who's who, 1983-84.. Europa Publications. (1983). p. 394. ISBN 9780905118864. OCLC 10514696
- ^ oszk.hu
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