マルク伯家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/07/23 01:38 UTC 版)
マルク伯家は、アルテナ伯領を支配したベルク伯家の分家を起源とする。同家の初代アドルフ1世フォン・マルクは、マルク城に因んでこう呼ばれた。エンゲルベルト2世(1328年没)は、アーレンベルク家女子相続人マティルデ(1348年没)と結婚し、その後同家はマルク伯家とマルク=アーレンベルク家の二流に分かれた。また、それらの家からさらにヌヴェール公家およびロシュフォール伯家が出た。アドルフ2世がマルク伯領を継承し、その子孫は最終的にユーリヒ、クレーフェおよびベルク公領をも継承したが、1609年に断絶した。継承戦争の末、1666年にマルク伯領はホーエンツォレルン家のブランデンブルク選帝侯に相続されることなり、ブランデンブルク選帝侯はこののち150年間、マルク伯領を相続した。プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世は、2人の庶子にマルク伯の称号を与えている。
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