マイク・ボーディック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/06 09:58 UTC 版)
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2011年
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基本情報 | |
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国籍 | ![]() |
出身地 | ミシガン州マーケット郡マーケット |
生年月日 | 1965年7月21日(56歳) |
身長 体重 |
5' 11" =約180.3 cm 175 lb =約79.4 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 遊撃手 |
プロ入り | 1986年 アマチュアFA |
初出場 | 1990年4月11日 |
最終出場 | 2003年9月28日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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マイケル・トッド・ボーディック(Michael Todd Bordick, 1965年7月21日 - )は、アメリカ合衆国ミシガン州マーケット郡マーケット出身の元プロ野球選手(遊撃手)。右投右打。
経歴
現役時代
1986年7月にオークランド・アスレチックスと契約してプロ入り。1990年4月11日にメジャーデビュー[1]。1992年には遊撃手のレギュラーとなり、自己唯一となる打率.300を記録した。
1997年にはボルチモア・オリオールズへ移籍し、この年より三塁手へ移ったカル・リプケンの後釜となる遊撃を守った。2000年の前半戦は打撃好調で、自身初のオールスター選出を果たした。直後の7月28日にはトレードによりニューヨーク・メッツへ移籍し[2]、故障でシーズン絶望となった正遊撃手のレイ・オルドニェスの代役を務めてワールドシリーズ進出に貢献した。翌2001年には古巣のオリオールズへ戻り、2年間プレーした。なお、2002年には9月20日に前述のオルドニェスが持っていた遊撃手の連続無失策記録を102試合に更新した(最終的に110試合まで更新。)[3]
トロント・ブルージェイズでプレーの2003年を最後に引退した。
引退後
引退後はブルージェイズ傘下マイナーの巡回コーチ、オリオールズ傘下マイナーの得点コーディネイターを歴任した。2011年にはオリオールズの球団殿堂入りを果たしている[4]。2012年から2020年の9年間はオリオールズの地元局であるMASNで解説者として活動した[5]。
プレースタイル
堅実な守備が売り物であり[6]、最多補殺を3回、遊撃手としての通算守備率は.981を記録している[7]。
詳細情報
記録
- MLBオールスターゲーム選出:1回(2000年)
背番号
- 46(1990年 - 1992年途中)
- 14(1992年途中 - 2000年途中、2001年 - 2002年)
- 17(2000年途中 - 同年終了)
- 16(2003年)
脚注
- ^ “Minnesota Twins at Oakland Athletics Box Score, April 11, 1990” (英語). Baseball-Reference.com. 2021年7月27日閲覧。
- ^ 「New Weapons For Final Run 新戦力たちのペナント・ドライブ マイク・ボーディック」『月刊メジャー・リーグ』 2000年10月号 ベースボール・マガジン社 31-32頁
- ^ 「30球団マンスリー・リポート ボルティモア・オリオールズ 記録継続中のまま引退の可能性も 名手ボーディックの揺れる胸中」『月刊メジャー・リーグ』 2003年1月号 ベースボール・マガジン社 68頁
- ^ Dan Connolly (2011年3月19日). “Bordick to be inducted into Orioles' Hall of Fame” (英語). The Baltimore Sun. 2021年7月27日閲覧。
- ^ https://pressboxonline.com/2021/01/27/former-masn-analyst-mike-bordick-thankful-for-opportunity-orioles-gave-him/
- ^ 「マイク・ボーディック」『パンチョ伊東のメジャー・リーグMLB選手名鑑2000』ベースボール・マガジン社 24頁
- ^ 出野哲也『改訂新版 メジャー・リーグ人名事典』言視舎、2013年、538頁。ISBN 978-4-905369-67-7。
関連項目
外部リンク
- マイク・ボーディックのページへのリンク