ポロンナルワ王国とは? わかりやすく解説

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ポロンナルワ王国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/07 06:25 UTC 版)

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ポロンナルワ王国
පොළොන්නරුව රාජධානිය
1055年 - 1236年
首都 ポロンナルワ
国王
1055年 - 1110年 ウィジャヤバーフ1世
1153年 - 1186年 パラークラマバーフ1世英語版
1187年 - 1196年 ニッサンカ・マーラ英語版
1212年 - 1215年 パラークラマ・パーンディヤ2世英語版
変遷
成立 1055年
ダンバデニヤ遷都 1220年
ポロンナルワ放棄 1255年

ポロンナルワ王国(ポロンナルワおうこく、シンハラ語: පොළොන්නරුව රාජධානිය[1])は、スリランカにかつて存在したシンハラ王国。それ以前に存在したアヌラーダプラ王国の都アヌラーダプラチョーラ朝に攻略され、南にあるポロンナルワへと遷都した結果成立した。成立は1055年、滅亡は1236年とされている。

成立

ポロンナルワマハウェリ川沿岸に位置する。その歴史は古く、アヌラーダプラと同時期に街ができたと考えられている。また、アヌラーダプラ王国時代には、王国第2の都として栄えていた[2]

歴史

1017年、1,400年以上の歴史を持つアヌラーダプラ王国チョーラ朝の侵攻を受けて滅亡し、国王マヒンダ5世はインドへと連れ去られ1029年に死亡した。その後チョーラ朝の国王ラージェーンドラ1世は都をポロンナルワに移し、53年間統治した。その間、ポロンナルワはチョーラ朝によってジャナナタプラムと呼ばれていた。1070年、ルフナ公国の大公ウィジャヤバーフ1世は、チョーラ朝を破りアヌラーダプラとポロンナルワを奪還。ポロンナルワ王国を建国した。その後彼はミャンマーのパガン王朝から仏典を譲り受け、仏教の再興を図った[2]

パラークラマバーフ1世英語版が即位する前、王国は3つの国に分裂していた。その1つダッキナデサ国の王となったパラークラマバーフは他の2国を破り、スリランカを統一した。彼の統治下では、南インドのパーンディヤ朝への遠征も行われた[2]

その後パーンディヤ朝パラークラマ・パーンディヤ2世英語版の侵攻によって1212年から3年間、支配下に入った。その後彼はカリンガ国から来たとされるカリンガ・マーガ英語版に倒され、ポロンナルワも彼の支配下に入った。その後カリンガ・マーガはジャフナ王国を建国した。一方、シンハラ王朝はウィジャヤバーフ3世がダンバデニヤへ遷都し、ダンバデニヤ王国英語版が建国された[2]

歴代国王

交易

ポロンナルワを支配した国王たちは諸外国と交易を行った。パラークラマバーフ1世の統治の際、スリランカはコメの一大産地であり、インドや他の東南アジア諸国へ輸出していた。ポロンナルワの人々は沿岸部でしか取れない塩を除くと、多くのものを近隣で得ることができた。

宗教

ポロンナルワ王国では仏教が中心となった。しかしシンハラ人が統治する前はチョーラ朝の影響でヒンドゥー教が大きな力を持っていた。ポロンナルワのムーンストーンにはヒンドゥー教で神聖視されるウシの形を取り除いた痕跡が残っており、遺跡内にはシヴァを祀る寺院も存在する。

脚注

  1. ^ Polonnaruwa”. 2015年1月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。 Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
  2. ^ a b c d 世界遺産「ポロンナルワ」を創ったポロンナルワ王国とは?”. スリランカ観光情報サイト Spice Up (2020年10月26日). 2021年1月7日閲覧。



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