ボギスラフ1世 (ポメラニア公)とは? わかりやすく解説

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ボギスラフ1世 (ポメラニア公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/03 03:11 UTC 版)

ボギスラフ1世
Bogislaw I.
ポメラニア=シュチェチン公
ボギスラフ1世と2人の妃
在位 1156年 - 1187年

出生 1130年ごろ
死去 1187年3月18日
ポメラニア公領、ソスニツァ
埋葬 ポメラニア公領ウーゼドム、グローベ修道院
配偶者 ヴァルブルギス・ア・ダンマーク
  アナスタジヤ・ミェシュコヴナ
子女 ラティボル
ヴァルティスラフ2世
ボギスラフ2世
カジミール2世
ドブロスラヴァ
家名 グリフ家
父親 ポメラニア公ヴァルティスラフ1世
母親 イダ・ア・ダンマーク
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ボギスラフ1世のシール(1170年ごろ)

ボギスラフ1世ドイツ語:Bogislaw I., 1130年ごろ - 1187年3月18日)またはボグスワフ1世ポーランド語:Bogusław I)は、ポメラニア=シュチェチン公(在位:1156年 - 1187年)。

生涯

ヴァルティスラフ1世の死後、叔父ラティボル1世がポメラニアの統治を継承した。ボギスラフ1世が弟のカジミール1世とともにポメラニア公領の統治を引き継いだのは、1155年か1156年のラティボル1世の死後のことであった。ボギスラフ1世は兄として弟カジミール1世より優位にあり、コインにも王の称号を使用した。

1164年、ボギスラフ1世とカジミール1世は、オボトリート族の族長プリビスラフのザクセン公ハインリヒ獅子公に対する反乱を支援した。しかし、フェルヒェンの戦いで勝利を収めた後、ボギスラフ1世とカジミール1世はハインリヒの臣下となった。ボギスラフ1世は、ハインリヒ獅子公が1181年に追放されるまで忠実であり続けた。ハインリヒ獅子公の要請により、1168年にはカジミール1世とともに、ハインリヒと同盟を結んでいたデーン人によるリューゲン島征服に参加した。ハインリヒ獅子公と同様にボギスラフ1世らも戦利品を分配する際に戦果なく戻ったため、デーン人との対立が起こった。デンマーク王ヴァルデマー1世によるポメラニアへの数回の侵攻(これはデンマーク領の略奪に対する報復ともみなされた)の後、1177年にボギスラフ1世とカジミール1世は税金の支払いと引き換えに和平を手にした[1]

1177/8年にボギスラフ1世はウッカーマルクで最初の修道院であるグラムツォー修道院を創建した[2]

1180年、ボギスラフ1世の弟カジミール1世はおそらくブランデンブルク辺境伯オットー1世からデミーンを守る際に殺されたとみられ[3]、これ以降ボギスラフ1世は単独で領地を統治した。1181年、リューベック近郊の帝国軍陣営に姿を現した際、皇帝フリードリヒ1世から「スラヴィニア公位」を与えられた。これを帝国諸侯への昇格とみなせるかどうかは不明である[4]。また、「スラヴィニア」が正確にどの地域を指していたのかも不明である。

いずれにせよ、ボギスラフ1世は帝国直属であることを主張することはできなかった。デンマークと再び武力衝突が発生したが、デンマークの主権下にあったリューゲン公領に対する1184年のボギスラフの攻撃は失敗に終わった。1184年から1185年にかけての対デンマーク軍事作戦で勝利を収めた後、ボギスラフは1185年に最終的にデンマーク王クヌーズ6世に服従し、その臣下となった。おそらくボギスラフは領土の西部の一部をリューゲン公領に割譲しなければならなかったとみられる[5]

ボギスラフ1世は1187年に亡くなり、ウーゼドム近くの丘にあるグローベ修道院に埋葬された。公領は2度目の結婚で生まれた息子ボギスラフ2世カジミール2世が継承した。

結婚と子女

ボギスラフ1世は最初にヴァルブルギス(1177年没)と結婚した。ヴァルブルギスの出自は不明であるが、デンマーク出身であったと考えられている。2人の間には2男が生まれたがいずれも父に先立ち死去した。

ヴァルブルギスの死後、ボギスラフ1世はポーランド大公ミェシュコ3世の娘アナスタジヤと結婚した。1177年4月26日にボギスラフ1世がグニェズノに滞在したという記録がこの結婚に関係しているとも考えられている[6]。2人の間には2男1女が生まれた。

  • ボギスラフ2世(1177年頃 - 1220年) - ポメラニア公
  • カジミール2世(1180年頃 - 1219年) - ポメラニア=デミーン公
  • ドブロスラヴァ(1187年以前 - 1226年頃)

1224年、未亡人であったアナスタジヤは、トレプトー・アン・デア・レーガ近くにプレモントレ会のマリエンブッシュ修道院を創建し、そこに居を構え、同修道院に埋葬された。アナスタジヤが最後に生存していたことが記されているのは1240年5月31日のことで、1242年6月24日以前に亡くなった[6]

脚注

  1. ^ Wächter 1997, pp. 302–303.
  2. ^ Krüger 2000, p. 380.
  3. ^ Richter 1987, pp. 83–104.
  4. ^ Wehrmann 1992, p. 85.
  5. ^ Wehrmann 1992, p. 90.
  6. ^ a b Wehrmann 1937, p. 37.

参考文献

  • Gottfried von Bülow (1876), “Bogislav I.” (ドイツ語), Allgemeine Deutsche Biographie (ADB), 3, Leipzig: Duncker & Humblot, pp. 40–41 
  • Schleinert, Dirk (2012). Pommerns Herzöge. Die Greifen im Porträt. Rostock: Hinstorff. pp. 37–38. ISBN 978-3-356-01479-2 
  • Roderich Schmidt: Bogislaw I.. In: Neue Deutsche Biographie (NDB). Band 2, Duncker & Humblot, Berlin 1955, ISBN 3-428-00183-4, S. 416 (電子テキスト版).
  • Wehrmann, Martin (1937). Genealogie des pommerschen Herzogshauses. Veröffentlichungen der landesgeschichtlichen Forschungsstelle für Pommern, Reihe 1, Bd. 5. Stettin: Leon Saunier. pp. 36–38 
  • Zientara, Benedykt (1983). “Bogislaw I”. Lexikon des Mittelalters. Band 2. München/Zürich: Artemis Verlag. ISBN 3-7608-8902-6 , Sp. 324.
  • Wächter, Joachim (1997). “Das Fürstentum Rügen – Ein Überblick”. Beiträge zur Geschichte Vorpommerns: die Demminer Kolloquien 1985–1994. Schwerin: Thomas Helms Verlag. ISBN 3-931185-11-7 
  • Krüger, Kristina (2000). Dehio, Handbuch der Deutschen Kunstdenkmäler, Brandenburg. München/Berlin: Deutscher Kunstverlag. ISBN 3-422-03054-9 
  • Richter, Hans-Peter (1987). “Zu den machtpolitischen Hintergründen und Zielen der Pommernzüge von 1178 bis 1180 in die Lausitz und das Land Jüterbog”. Jahrbuch für Geschichte des Feudalismus 11: 83–104. , Berlin.
  • Wehrmann, Martin (1919). Geschichte von Pommern. Bd. 1 (2nd. ed.). Gotha: Friedrich Andreas Perthes . Reprint: Weltbild Verlag, Augsburg 1992, ISBN 3-89350-112-6.
先代
ラティボル1世
ポメラニア=シュチェチン公
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次代
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