ベンガル政権のその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/22 15:25 UTC 版)
「ムハンマド・バフティヤール・ハルジー」の記事における「ベンガル政権のその後」の解説
バフティヤール・ハルジーの後継には、同じハルジー族出身のムハンマド・シラン・ハルジーが任じられた。バフティヤールの兵たちはシラン・ハルジーの手中に収まった。彼らはアリー・マルダーンを投獄し、バフティヤールの仇を討った。しかしアリー・マルダーンはデリーへ脱出してクトゥブッディーン・アイバクを動かし、ベンガル遠征をおこなわせた。アリー・マルダーンはアワド総督Kayemaz Rumiとともにシラン・ハルジーを追い落とした。シランはディナジプルに逃れた後にそこで死んだ。ギヤースッティーン・イワーズ・ハルジーがシラン・ハルジーの跡を継ぎ、アリー・マルダーンは再びクトゥブッディーン・アイバクの元へ逃れてベンガル総督に任じられ、ギヤースッディーンを退位させたが、1212年に暗殺された。その後はギヤースッディーンが復位し、独立を宣言した。
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