ベレンコ中尉亡命事件
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ベレンコ中尉亡命事件(ベレンコちゅういぼうめいじけん)は、冷戦時代の1976年9月6日、ソビエト連邦軍(ソ連防空軍)の現役将校であるヴィクトル・ベレンコ中尉が、MiG-25(ミグ25)迎撃戦闘機で日本の函館空港に強行着陸し、アメリカ合衆国への亡命を求めた事件である[1]。ミグ25事件とも呼ばれる[1]。
注釈
出典
- ^ a b c d e f g “第4章 ミグ25事件”. 防衛白書昭和52年版. 防衛庁. 2021年10月17日閲覧。
- ^ a b c ““ソ連軍が来る”ミグ25戦闘機の破壊計画 命令なしで動き始めた自衛隊 緊迫の歴史の舞台裏”. 札幌テレビ放送. (2023年11月25日) 2023年12月2日閲覧。
- ^ 「旧ソ連の戦闘機「ミグ」、函館空港強行着陸から40年 混乱と恐怖、不測の事態に教訓」『北海道新聞』、2016年9月7日。
- ^ 佐々淳行『ポリティコ・ミリタリーのすすめ』都市出版、1994年、[要ページ番号]頁。ISBN 4-924831-11-5。
- ^ 大小田八尋 2001, p. [要ページ番号].
- ^ 『テレビ史を揺るがせた100の重大ニュース スクープ映像の舞台裏 今夜一挙公開』TBS 2016年4月10日
- ^ “NHK放送史 ミグ25 函館に強行着陸”. NHK. 2021年9月6日閲覧。
- ^ 「ミグ25はスチール製 重さ、大型馬力でカバー」朝刊、13版、3面、『朝日新聞』、1976年9月21日。
- ^ 「ミグ後、初の釈放 坊主頭で三船員帰る」朝刊、13版、23面、『朝日新聞』、1976年10月2日。
- ^ 「「ビザの写しが未着」日航乗員の入国拒否」夕刊、3版、9面、『朝日新聞』、1976年10月2日。
- ^ 日本プラモデル工業組合 編『日本プラモデル50年史 1958-2008』文藝春秋社、2008年。ISBN 9784160080638。
- ^ “「ミグ25亡命事件の衝撃 ~米ソ冷戦 知られざる攻防~」 - アナザーストーリーズ 運命の分岐点 - NHK”. 2022年11月23日閲覧。
- ^ “M25やくざ作戦 - メディア芸術データベース”. mediaarts-db.bunka.go.jp. 2022年12月15日閲覧。
- 1 ベレンコ中尉亡命事件とは
- 2 ベレンコ中尉亡命事件の概要
- 3 経緯
- 4 事件の影響
- 5 亡命後のベレンコ
- 6 参考文献
- ベレンコ事件のページへのリンク