ベルナルド・カヴァッリーノとは? わかりやすく解説

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ベルナルド・カヴァッリーノ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/15 10:14 UTC 版)

サウルに呼び出されるサムエルの亡霊』 (1650-1650年ごろ)、J・ポール・ゲティ美術館ロサンゼルス

ベルナルド・カヴァッリーノ (1616–1656年) は、イタリアバロック期の画家で製図工である。17世紀前半のナポリで活動した画家の中で最も独創的な1人であると見なされている[1]

伝記

カヴァッリーノはナポリで生まれ、1656年の腺ペスト禍で亡くなったと考えられている。彼の絵画のいくつかは、当時のナポリの画家たちが制作した絵画よりもかなり表現主義的なものである。一方で、彼の生涯や修行についてはほとんど知られていない。約80点の帰属作品のうち、10点に満たない作品しか署名がされていない。カヴァッリーノは個人の画商や収集家とかかわりがあったが、彼らの文書はもはや存在していない。

『祝福された聖母』

カヴァッリーノはマッシモ・スタンツィオーネのもとで修業をし、アンドレア・ヴァッカーロと親交を結び、アンソニー・ヴァン・ダイクに影響を受けたといわれている。しかし、カヴァッリーノの絵画は、様式的にカラヴァッジョバルトロメ・エステバン・ムリーリョの中間であるとも見なしうる。彼の絵画は、演劇的な甘美さに包まれたテネブリスムローマの盛期バロックの彫刻に特徴的な恍惚と感情のポーズを有している。彼はスタンツィオーネに強い影響を受けたナポリの画家たちのサークルで仕事をしたと考えられている。そのサークルの中には、アントニオ・デ・ベリス英語版アルテミジア・ジェンティレスキフランチェスコ・フランカンツァーノ英語版アゴスティーノ・ベルトラ―ノ英語版フランチェスコ・グアリーノ英語版らがいた。

カヴァッリーノの傑作の1つは、ミラノブレラ美術館にある民衆的で波打つような『祝福された聖母』である。回転する、たくましいプットたちの間で、この受動的なナポリの女性は霧の中から上昇しているが、ボッティチェッリヴィーナスカトリックのバロック版となっている。カヴァッリーノの『聖チェチリアの法悦』は雛形 (カポディモンテ美術館、ナポリ)[2]としても、最終作 (カポディモンテ美術館、ナポリ) としても存在している。また、フィレンツェのウフィツィ美術館には『エステルとアハシュエロス』が所蔵されている[3]

作品

脚注

  1. ^ Ann Percy. "Cavallino, Bernardo." Grove Art Online. Oxford Art Online. Oxford University Press. Web. 28 October 2016
  2. ^ The Ecstasy of St Cecilia (Naples)
  3. ^ Esther and Ahaseurus (Uffizi, Florence)

参考文献

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