プレドラグ・スパシッチとは? わかりやすく解説

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プレドラグ・スパシッチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/23 13:06 UTC 版)

プレドラグ・スパシッチ
名前
ラテン文字 Predrag Spasić
セルビア語 Предраг Спасић
基本情報
国籍 セルビア
生年月日 (1965-05-13) 1965年5月13日(59歳)
出身地 ユーゴスラビア クラグイェヴァツ
身長 185cm
選手情報
ポジション CB
ユース
ラドニチュキ・クラグイェヴァツ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1984-1988 ラドニチュキ・クラグイェヴァツ 123 (4)
1988-1990 パルチザン・ベオグラード 55 (3)
1990-1991 レアル・マドリード 22 (0)
1991-1994 CAオサスナ 88 (3)
1994-1995 CAマルベーリャ 5 (0)
1995-1996 ラドニチュキ・ベオグラード 8 (1)
通算 301 (11)
代表歴
1988-1991 ユーゴスラビア 31 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。2017年9月23日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

プレドラグ・スパシッチセルビア語: Предраг Спасић / Predrag Spasić1965年5月13日 - )は、ユーゴスラビア(現セルビア)・クラグイェヴァツ出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー

経歴

地元クラブであるラドニチュキ・クラグイェヴァツの下部組織出身で、1984年よりトップチームでプレー。1988年には強豪パルチザン・ベオグラードへ移籍し、1988-89シーズンには初タイトルであるユーゴスラビアカップを獲得した。また、1988年にはユーゴスラビア代表としてソウルオリンピックにも招集された。チームはグループステージで敗退したものの、スパシッチは3試合全てにスターティングメンバーとして出場した。

1990年W杯イタリア大会にも出場し、決勝トーナメントではスペイン代表の攻撃陣を抑えて勝利に貢献。同年、その時のプレーに目をつけたレアル・マドリードに移籍した[1]

レアル・マドリードではFCバルセロナを下してスペインスーパーカップを獲得。しかし、1991年1月19日に再び行われたバルセロナとのエル・クラシコで決勝点となるオウンゴールを献上するなどし[2]、スパシッチの移籍はクラブ史上最悪の移籍の一つと言われることとなった[3]。翌シーズンにはCAオサスナへ移籍した。

CAオサスナではリーグ戦88試合に出場するも、1993-94シーズンにクラブは2部リーグ降格が決まり、同じく2部リーグ所属のCAマルベーリャへ移籍。1年後に自国へ戻り、ラドニチュキ・ベオグラードで1年間プレーした後に引退した。

獲得タイトル

脚注

  1. ^ 「日本はバルサのスタイルを目指すべき」対談:宮本恒靖×イビチャ・オシム”. スポーツナビ (2014年3月1日). 2017年9月16日閲覧。
  2. ^ クラシコ カンプノウ逸話5つ”. gooニュース (2016年3月30日). 2017年9月16日閲覧。
  3. ^ Los fichajes más decepcionantes del Real Madrid”. as.com (2015年9月9日). 2017年9月16日閲覧。

外部リンク




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