プラチャンダ内閣崩壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 21:01 UTC 版)
「ネパール共産党 (毛沢東主義派中央)」の記事における「プラチャンダ内閣崩壊」の解説
毛派は制憲議会内で過半数を大きく割っており、プラチャンダ政権は必ずしも信頼関係の確立していなかったネパール統一共産党をはじめとする連立与党との間で不安定な政権運営を余儀なくされていた。加えて、国軍制服組のトップ、ルークマングド・カトワル参謀総長は毛派の主張する人民解放軍と国軍の統合に公然と反対し、ことあるごとに内閣と対立してきた。 こうしたなか、2009年5月3日、プラチャンダ首相はカトワル参謀総長を一方的に解任。これに反発して同日、統一共産党、友愛党が連立を離脱。さらにネパール会議派出身のヤーダブ大統領が同日深夜、カトワルの参謀総長続投を支持し、制憲議会内には毛派包囲網が形成されていった。こうして、5月4日、プラチャンダ首相は辞任した。
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