ブジスク公国とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ブジスク公国の意味・解説 

ブジスク公国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/26 04:16 UTC 版)

ブジスク公国ロシア語: Бужское княжество)はルーシ西部の分領公国である。12世紀初頭、ブク川上流の都市ブジスク(現ブシク)の近辺を領土として形成された。

初代のブジスク公ダヴィドである。ダヴィドは、11世紀末のルーシ内戦に関与した諸公の一人であり、この内戦の処遇を取り決めた、1100年のウヴェティチ諸公会議ロシア語版の決定より、ヴォルィーニ公国を放棄する代わりにブジスクを所領として得た(なおブジスク以外にも、ドゥブノチェルトルィースクドロゴブージを得ている)[1]

1112年のダヴィドの死後、1119年までブジスク公国は独自の公が置かれなかった。それは、キエフ公国ヴォルィーニ公国ガーリチ公国が所有を欲する地であったことによる。

1160年代のブジスク公であるヤロポルクは、同時期のルーシ諸公間の内戦ロシア語版に積極的に介入した。1168年[2](1170年とも[3])にヤロポルクが死ぬと、ブジスク公国はベルズ公国領に組み込まれ、消滅した。

出典

  1. ^ Історія міста. Буськ
  2. ^ Л.Войтович. 3.15. ВОЛИНСЬКА ГІЛКА МОНОМАХОВИЧІВ. БОЛОХІВСЬКІ КНЯЗІ. КНЯЗІ ОСТРОЗЬКІ ТА ЗАСЛАВСЬКІ // Князівські династії Східної Європи (кінець IX — початок XVI ст.): склад, суспільна і політична роль. Історико-генеалогічне дослідження. — Львів: Інститут українознавства ім. І. Крип’якевича, 2000.
  3. ^ Извлеченіе изъ древнихъ Русскихъ лѣтописей / Отделъ І. Извѣстія лѣтописные // Сборникъ матеріаловъ для исторической топографіи Кіева и его окрестностей.— Кіевъ: типографія Е. Я. Федорова, 1874.— С. 25

参考文献

  • Я. Б. Книш. Бужське князівство // Енциклопедія історії України : у 10 т. : [укр.] / редкол.: В. А. Смолій (голова) та ін. ; Інститут історії України НАН України. — К. : Наукова думка, 2003. — Т. 1 : А — В.
  • Крип’якевич І.П. Галицько-Волинське князівство. Львів, 1999.

関連項目



このページでは「ウィキペディア」からブジスク公国を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書からブジスク公国を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書からブジスク公国 を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ブジスク公国」の関連用語

ブジスク公国のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ブジスク公国のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのブジスク公国 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS