フランソワ・ジョフロワ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/03 00:28 UTC 版)
フランソワ・ジョフロワ
|
|
---|---|
François Jouffroy | |
![]()
1965年ころのフランソワ・ジョフロワ
|
|
生誕 | 1806年2月1日 フランス、ディジョン |
死没 | 1882年6月25日 (76歳没) フランス、ラヴァル |
フランソワ・ジョフロワ(François Jouffroy、1806年2月1日 - 1882年6月25日)は、フランスの彫刻家である。パリ国立高等美術学校の彫刻の教授を務めた。
略歴
ディジョンでパン職人の息子に生まれた。1817年から画家のフランソワ・ドヴォージュ(Francois Devosge)が校長を務めるディジョンの美術学校で彫刻家のニコラ・ボルニエ(Nicolas Bornier: 1762-1829)に学んだ。1823年に賞を得て、その賞金でパリに移り、ジュール・ラメ(Jules Ramey: 1796-1852)に学び、1824年にパリ国立高等美術学校に入学した。1826年にはローマ賞の2位になり、1832年にジャン=ルイ・ブリアン(Jean-Louis Brian: 1805–1864)とローマ賞の1位を分け合った。在ローマ・フランス・アカデミーでの留学を終えてパリに戻ると1835年にパリのサロンにデビューし、1853年まで、定期的にサロンに作品を出展した。1838年に2等のメダルを受賞し、1839年に出展した作品は金賞を受賞し、1940年に国王ルイ・フィリップに買い上げられ、現在はリュクサンブール美術館に収蔵されている。ダヴィッド・ダンジェ(1788-1856)と競い合って多くの公共団体からの注文を受けて作品を制作した。
1861年ににレジオンドヌール勲章(オフィシエ)を受勲した[1]。
1864年にパリ国立高等美術学校の彫刻の教授となった[2]。ジョフロワが教えた学生にはアレクサンドル・ファルギエール(1831-1900)、ルイ=エルネスト・バリアス(Louis-Ernest Barrias: 1841-1905、ルネ・ド・サン=マルソー(1845–1915)、マリウス・ジャン・アントナン・メルシエ(1845-1916)、アントニオ・ソアレス・ドス・レイス(1847-1889)、レオポール・モーリス(Léopold Morice: 1846-1919)、オーガスタス・セント=ゴーデンス(1848-1907)、ペール・ハッセルベリ(Per Hasselberg: 1850-1894)、ドニ・ピュエッシュ(1854-1942)らがいる[3]。
作品
-
ヴィーナスに託された最初の秘密 (1839)
ルーヴル美術館 -
サン=ジェルマン=シュル=エオルヌの『La Seine』(1866).
-
『La Poésie または L'Harmonie』 (1865-1869)
ガルニエ宮 -
コート=ドール県のボナパルト像(1857)
脚注
参考文献
- Jouffroy, François. In: Hans Vollmer (Hrsg.): Allgemeines Lexikon der Bildenden Künstler von der Antike bis zur Gegenwart. Begründet von Ulrich Thieme und Felix Becker. Band 19: Ingouville–Kauffungen. E. A. Seemann, Leipzig 1926, S. 192 .
- フランソワ・ジョフロワのページへのリンク