フランソワ・ジョゼフ (ギーズ公)とは? わかりやすく解説

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フランソワ・ジョゼフ (ギーズ公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/30 01:23 UTC 版)

フランソワ・ジョゼフ・ド・ロレーヌ=ギーズ
François Joseph de Lorraine-Guise
第7代ギーズ公

出生 (1670-08-28) 1670年8月28日
フランス王国パリ、オテル・ド・ギーズ
死去 (1675-03-16) 1675年3月16日(4歳没)
フランス王国パリリュクサンブール宮殿
家名 ギーズ家
父親 ギーズ公ルイ・ジョゼフ
母親 エリザベート・マルグリット・ドルレアン
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フランソワ・ジョゼフ・ド・ロレーヌ=ギーズ(François Joseph de Lorraine-Guise、duc de Guise、1670年8月28日 - 1675年3月16日)は、フランスの貴族。ギーズ公ジョワイユーズ公。

生涯

ギーズ公ルイ・ジョゼフとその妻でオルレアン公ガストンの娘であるエリザベート・マルグリット・ドルレアンの間の一人息子として、オテル・ド・ギーズ(現在のオテル・ド・スービーズ英語版)で生まれた。1671年にギーズ公爵家の家督を継いだものの、ヴェルサイユ宮廷における儀礼称号としては、母方から受け継いだアランソン公の称号で呼ばれた。

フランソワ・ジョゼフはきわめて病弱で、4歳になっても周りの支えが無ければ歩行が出来なかった。1675年の春、居城のリュクサンブール宮殿において、抱きかかえていた乳母が誤って彼を落としてしまい、頭部を強く打って死亡した[1]。ギーズ公爵位は未婚の大伯母マリー(ギーズ姫)が相続したものの、彼の死によってギーズ家本家は事実上断絶した。

脚注

  1. ^ Patricia M. Ranum, Portraits around Marc-Antoine Charpentier, Baltimore, 2004, pp. 405-11

関連項目

先代
ルイ・ジョゼフ
ギーズ公
ジョワイユーズ公
1671年 - 1675年
次代
マリー



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