フランソワ・ジラルドンとは? わかりやすく解説

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フランソワ・ジラルドン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/08 01:43 UTC 版)

フランソワ・ジラルドン
François Girardon
イアサント・リゴーによる肖像画
生誕 1628年3月10日
フランス、トロワ
死没 1715年9月1日
フランス、パリ

フランソワ・ジラルドン(François Girardon、1628年3月10日 - 1715年9月1日)はフランスの彫刻家である。フランスのバロック期の美術様式「ルイ14世様式」の彫刻家である。ヴェルサイユ宮殿の庭園に置かれた彫像で知られている。

略歴

フランス北部のトロワの鋳物職人の息子に生まれた。木工職人として働き始めたが、その技術をブルボン朝の重臣で、アカデミー・フランセーズの保護者であるピエール・セギエ(Pierre Séguier)に見いだされ、彫刻家のフランソワ・アンギエ(François Anguier)の工房で働くことになった。1848年から1850年の間はローマで修行した[1]。ローマではジャン・ロレンツォ・ベルニーニに出会い、ベルニーニが代表するバロック彫刻を知るが、むしろローマの古代彫刻や古典主義のスタイルに向かった。

1650年にフランスに戻り、王立絵画彫刻アカデミーを設立した宮廷画家のシャルル・ルブランを中心とする芸術家グループの一員となった。またヴェルサイユ宮殿の庭園のデザイナーに就任したアンドレ・ル・ノートルとも働いた。ヴェルサイユ宮殿の庭園には、他の彫刻家と共作の『ニンフにかしずかれるアポロン』を制作し、主要な4体の彫像を制作した。また『サトゥルヌスの泉水』なども制作した。

宮廷での芸術家としての地位を高め1657年に王立絵画彫刻アカデミーの会員になり、1674年に学長補佐になり、教授の称号を得た。1690年にルブランが亡くなった後、宮廷が注文する彫刻作品の監督を行う地位に就いた[1]

1715年に国王ルイ14世が亡くなったのと同じ日にパリで没した。

作品

脚注

  1. ^ a b Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Girardon, François" . Encyclopædia Britannica. Vol. 12 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 46.

参考文献

  • Geese, Uwe, Section on Baroque sculpture in L'Art Baroque - Architecture - Sculpture - Peinture (French translation from German), H.F. Ulmann, Cologne, 2015. (ISBN 978-3-8480-0856-8)



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