フィリップ2世 (ナミュール侯)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > フィリップ2世 (ナミュール侯)の意味・解説 

フィリップ2世 (ナミュール侯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/01 04:20 UTC 版)

フィリップ2世
Philippe II
ナミュール侯
在位 1216年 - 1226年

出生 1195年
死去 1226年
フランス王国オーヴェルニュサン=フルール
家名 クルトネー家
父親 ラテン皇帝ピエール2世・ド・クルトネー
母親 ヨランド・ド・エノー
テンプレートを表示

フィリップ2世フランス語:Philippe II, 1195年 - 1226年)は、ナミュール侯(在位:1216年 - 1226年)。

生涯

ラテン皇帝ピエール2世・ド・クルトネーヨランド・ド・エノーの長男。1212年に母方の叔父フィリップ1世が死去し、母ヨランドが一時的にナミュールを相続した後、1216年にフィリップ2世に継承させた[1]

父ピエールは1216年にラテン帝国皇帝に選ばれた。1217年にピエールが死去したとき、フィリップ2世は皇帝につくことを拒否した。このため、弟ロベールがラテン皇帝となった[1][2][3]

フィリップ2世は、いまだにナミュールに対する権利を主張していたルクセンブルク伯ハインリヒ4世の子孫と争わなければならなかった。フィリップ2世はルクセンブルク女伯エルメジンデの夫リンブルフ公ヴァルラム3世と戦い、最終的に1223年3月にディナンで和平を結んだ[1][4][5]

1226年、フィリップ2世はフランス王ルイ8世が主導したアルビジョア十字軍とアヴィニョン包囲戦に参加した[1]。フィリップ2世は同年にオーヴェルニュサン=フルールで死去した[3]。未婚であったため、ナミュール侯位は弟アンリが継承した[1]

脚注

  1. ^ a b c d e Woodward 1872, p. 1010.
  2. ^ Arsdall 2020, (1217-1228).
  3. ^ a b Family of Peter II + and Yolanda +”. freepages.rootsweb.com. 2018年11月27日閲覧。
  4. ^ KG, Fritz Rudolf Künker GmbH & Co. Künker Auktion 121 – The De Wit Collection of Medieval Coins. Numismatischer Verlag Künker. https://books.google.com/books?id=ShOnykzju1QC&pg=PA374 
  5. ^ Jackson 1999, p. 139.

参考文献

先代
ヨランド
ナミュール侯
1216年 - 1226年
次代
アンリ2世



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  フィリップ2世 (ナミュール侯)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「フィリップ2世 (ナミュール侯)」の関連用語

フィリップ2世 (ナミュール侯)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



フィリップ2世 (ナミュール侯)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのフィリップ2世 (ナミュール侯) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS