フィリップ1世・ド・クロイとは? わかりやすく解説

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フィリップ1世・ド・クロイ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/05 07:58 UTC 版)

フィリップ1世・ド・クロイ
Philippe I de Croÿ
ポルシャン伯
在位 1475年 - 1511年

出生 1435年
死去 1511年
埋葬 ポルシャン、城内教会
配偶者 ジャクリーヌ・ド・リュクサンブール
子女 アンリ
アントワーヌ
ギヨーム2世
家名 クロイ家
父親 ポルシャン伯アントワーヌ1世・ド・クロイ
母親 マルグリット・ド・ロレーヌ=ヴォーデモン
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フィリップ1世・ド・クロイフランス語:Philippe I de Croÿ, 1435年 - 1511年)は、クロイ領主、アールスコート領主、ポルシャン伯。

生涯

フィリップ1世はポルシャン伯アントワーヌ1世・ド・クロイとマルグリット・ド・ロレーヌ=ヴォーデモンの長男である。フィリップはブルゴーニュ公シャルル豪胆公のもとで育てられ、シャルル豪胆公は1455年にフィリップとジャクリーヌ・ド・リュクサンブールとの結婚を取り決めた[1]。ジャクリーヌの父、サン=ポル伯ルイ・ド・リュクサンブールは同盟に反対し力ずくで娘を取り戻そうとしたが、フィリップ1世はルクセンブルクとの国境を封鎖し結婚が完了したと発表した。フィリップ1世はルクセンブルクとリニーの総督をつとめた。

フィリップ1世は決断力と強い影響力を持ち、統治者として尊敬され、戦いでも功績を残した。フィリップ1世はフィリップ善良公とシャルル豪胆公の戦いのほとんどに参加したと記録されており、その間に武勇により騎士に叙され、また人質とされた[2]

1471年、フィリップ1世は600人の騎士を率いてフランス王のもとに亡命したが、ナンシーの戦いでシャルル側として戦うためにブルゴーニュに戻った。フィリップ1世が捕虜になったのは戦闘中のことであった。シャルルの死後、フィリップ1世は後継者マリーと皇帝マクシミリアン1世の婚約の取り決めを支援した。その後、マクシミリアン1世のためにギネガテの戦い(1479年)でフランス軍と戦った。

晩年、ヴァランシエンヌ総督、リエージュ軍中将、エノー軍大将として皇帝に仕えた。フィリップはポルシャン城に教会を建設し、1511年に亡くなると同教会に埋葬された。

子女

ジャクリーヌ・ド・リュクサンブールとの間に以下の子女をもうけた。

  • アンリ(1456年 - 1514年) - ポルシャン伯、アールスコート領主。シャルロット・ド・シャトーブリアン(1509年没)と結婚、以下の子女をもうけた。
  • アントワーヌ(1457年 - 1495年9月21日) - テルアンヌ司教、キプロスで死去し同地に埋葬された。
  • ギヨーム2世(1458年 - 1521年) - カール5世の傅育長および侍従長

脚注

  1. ^ Vaughan 1970, p. 337.
  2. ^ Hulin de Loo 1923, p. 57.

参考文献

  • Hulin de Loo, Georges (1923). “Diptychs of Rogier van der Weyden: I”. Burlington Magazine Vol 43 (No. 245): 53–58. 
  • Vaughan, Richard (1970). Philip the Good: The Apogee of Burgundy. 3. The Boydell Press 
先代
アントワーヌ1世
ポルシャン伯
1475年 - 1511年
次代
アンリ



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