ヒューゴ・サビノビッチとは? わかりやすく解説

ヒューゴ・サビノビッチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/23 09:46 UTC 版)

ヒューゴ・サビノビッチ
スーパー・メディックスを先導するサビノビッチ(1983年)
プロフィール
リングネーム ヒューゴ・サビノビッチ
El Munecazo
La Pantera Asesina
La Ferreteria
Ambulante
El Hijo de Dona Melida
El Deforme
身長 178cm[1]
体重 107kg[1]
誕生日 (1959-02-15) 1959年2月15日(65歳)
出身地 エクアドル
グアヤス県グアヤキル
トレーナー ジョニー・リベラ
デビュー 1978年
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ヒューゴ・サビノビッチHugo Savinovich1959年2月15日 - )は、エクアドル出身の元プロレスラー。現役選手時代はプエルトリコを主戦場に活動した。

現役引退後は実況アナウンサーのカルロス・カブレラと共に、WWEのスペイン語放送のコメンテーターを務めていた。元妻は第2代WWE女子王者ウェンディ・リヒター[2]

来歴

ビクター・リベラの実弟ジョニー・リベラのトレーニングを受け、1978年プエルトリコにてプロレスラーとしてデビュー[3]パナマドミニカなどを転戦後、1980年代よりカルロス・コロンの主宰するWWCに定着、マイクパフォーマンスのスキルを活かしてヒールマネージャーも担当し、アブドーラ・ザ・ブッチャーをはじめ数々の悪役スターをマネージメントした[1][3]

自身もカルロス・コロンと抗争を展開し、1984年7月にはWWCとの提携ルートで全日本プロレスの『グランド・チャンピオン・カーニバルIII』に初来日している(同時参加選手はスタン・ハンセンリック・マーテルディック・スレーターアレックス・スミルノフなど)[4]。WWCではブッカーなどのフロント業務も兼任し[1]、WWC離脱後の1980年代後半にはプエルトリコでAWFなるインディー団体を運営していた[3]

1993年より、WWEのスペイン語放送 "WWE En Español" (WWE in Spanish)のカラー・コメンテーターを担当。場外乱闘の際は、実況テーブル上のパイルドライバーペディグリーで放送席が壊されるなどの被害に頻繁に遭っていた。

2011年10月19日、WWEからの退団が発表された[5]。その後は2013年6月16日、AAAPPV大会 "Triplemanía XXI" にゲスト・コメンテーターとして登場。同日は、ブルー・デーモン・ジュニアと対戦したエル・メシアスのマネージャー役も務めた。

マネージャー担当選手

 など[3]

脚注

  1. ^ a b c d 『全日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P80(2002年、日本スポーツ出版社
  2. ^ "The first Screwjob" - Vince McMahon told WWE referee to go off-script in a top female star's title match (Exclusive)”. Sportskeeda (2022年2月18日). 2023年8月15日閲覧。
  3. ^ a b c d Wrestler Profiles: Hugo Savinovitch”. Online World of Wrestling. 2011年1月10日閲覧。
  4. ^ The AJPW matches fought by Hugo Savinovich in 1984”. Wrestlingdata.com. 2018年4月15日閲覧。
  5. ^ WWE releases longtime Spanish color commentator Hugo Savinovich”. Wrestling-Edge.com. 2011年10月19日閲覧。

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