バルセロナ万国博覧会 (1888年)とは? わかりやすく解説

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バルセロナ万国博覧会 (1888年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/21 05:21 UTC 版)

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シウタデリャ公園のパヴィリオン

1888年バルセロナ万国博覧会(バルセロナばんこくはくらんかい, カタルーニャ語:Exposició Universal de Barcelona 1888, Expo 1888)は、1888年4月8日から12月10日までスペインバルセロナで開催された国際博覧会である。30ヶ国が参加し、会期中230万人が来場した。要塞[1]の跡地が博覧会場になった。

施設

建築家アリアス・ルジェント(en)、ドゥメナク・イ・ムンタネーが主な施設を設計した。アントニ・ガウディは大西洋横断会社(グエイ家の関係)のパビリオン(カディスの海洋博覧会のものを移築)の改築を担当し、また、人工の滝・池のデザインに参加したと言われる[2]

現状

会場への入口として建てられた凱旋門(Arc de Triomf)があり、会場跡地は緑豊かなシウタデリャ公園(要塞の意味)となっている(園内に動物園や州議会議事堂もある)。

博覧会施設として、ムンタネーが設計したレストランが残っており、自然研究所(Laboratori de Natura)が使用している。

その他

  • 万博開催と同年、海の彼方を指さすコロンブス像を置いたコロンブスの塔(en)が竣工した(1888年)。
  • 万博会場の周辺整備で、1876年青物卸売市場ボルンが建設された。その後は市の中央市場となり、1971年まで使用された。修復を受けて、2013年にボルンカルチャーセンター(El Born Centre Cultural)に生まれ変わった。
  • 博覧会の年、11歳のパブロ・カザルスが、市立音楽学校で学ぶため大都会バルセロナに初めて出てきた。

脚注

  1. ^ スペイン継承戦争の後、ブルボン朝の中央政府が当地を監視するために建設した要塞。1869年に取り壊された。
  2. ^ 田澤耕『ガウディ伝』(中公新書、2011年)p108,114

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