ハン・ベニンクとは? わかりやすく解説

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ハン・ベニンク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/22 03:04 UTC 版)

ハン・ベニンク
Han Bennink
ハン・ベニンク(2019年)
基本情報
生誕 (1942-04-17) 1942年4月17日(83歳)
出身地 オランダ ザーンダム
ジャンル フリー・ジャズアヴァンギャルド・ジャズ
職業 ミュージシャン
担当楽器 ドラム、パーカッション、サクソフォーン、クラリネット、ヴァイオリン、バンジョー、ピアノ
共同作業者 イレーネ・シュバイツァーデクスター・ゴードンソニー・ロリンズエリック・ドルフィー
公式サイト hanbennink.com

ハン・ベニンク[1]Han Bennink1942年4月17日 - )は、オランダジャズ・ドラマーにしてパーカッショニスト。時折、自身の録音において、自分によるクラリネット、ヴァイオリン、バンジョー、ピアノの演奏をフィーチャーしている。

おそらく初期のヨーロピアン・フリー・ジャズフリー・インプロヴィゼーションにおける中心人物の1人として最もよく知られているが、ベニンクは本質的にすべてのジャズの分野で仕事しており、批評家のクリス・ケルシーは、「残念ながら、その能力と興味がジャズの全範囲に及んでいる稀有なミュージシャンの1人である」と説明している[2]。どたばた喜劇や不条理ユーモアをパフォーマンスに取り入れることで知られるベニンクは、ピアニストのミシャ・メンゲルベルクやサックス奏者のペーター・ブロッツマンと特に実り多い長期的なパートナーシップを築いてきた。ハンは、サックス奏者のペーター・ベニンクの兄弟である。

生い立ち

ベニンクは、クラシックのパーカッショニストの息子としてザーンダムで生まれた。彼は10代の間にドラムとクラリネットを演奏した。

パフォーマンスのキャリア

受賞するハン・ベニンク(1967年)

1960年代を通じて、デクスター・ゴードンウェス・モンゴメリーソニー・ロリンズエリック・ドルフィー(1964年のアルバム『ラスト・デイト』にも参加)など、オランダを訪れた多くのアメリカ人ミュージシャンたちのドラマーを務めた。

その後、彼はヨーロッパの新興のフリー・インプロヴィゼーション・シーンにおいて中心人物となっていった。1963年にピアニストのミシャ・メンゲルベルクとサックス奏者のピエト・ヌードワイクらとカルテットを結成して1966年のニューポート・ジャズ・フェスティバルに出演し、1967年にはメンゲルベルクとウィレム・ブロイカーと共にインスタント・コンポーサーズ・プールの共同創設者となり、オランダの前衛的なパフォーマンスを後援した。1960年代後半から、彼はサックス奏者のペーター・ブロッツマンとベルギーのピアニストのフレッド・ヴァン・ホーフとのトリオで演奏した。1976年にヴァン・ホーフが脱退した後はデュオとなって活動した。1990年代のほとんどを通じて、サックス奏者/クラリネット奏者のマイケル・ムーアと、チェリストのエルンスト・レイスグルとのトリオであるクルーソン3(クルーソン・トリオとしても知られる)で演奏を行った。彼はしばしばメンゲルベルクとのデュオで演奏し、他のミュージシャンとも一緒に彼と協力してきた。

1980年代後半から2000年代初頭にかけて、ベニンクはオランダのポストパンク・バンドであるThe Exと緊密に協力し、1995年のアルバム『Instant』に参加し、エチオピアへの最初のツアーで彼らと一緒に旅し演奏した。

レコーディング

これら長年のグループで演奏するだけでなく、ベニンクはソロで演奏および録音を行い(アルバム『Tempo Comodo』(1982年)は彼のソロ・レコーディングの1つ)、デレク・ベイリーコニー・バウアードン・チェリーアレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハだけでなく、リー・コニッツのようなよりポピュラーなジャズ・ミュージシャンを含む、多くのフリー・インプロヴィゼーションやフリー・ジャズのミュージシャンと演奏した。1983年に彼はブギウギのピアニストでボーカリストのリトル・ウィリー・リトルフィールドと彼のアルバム『I'm in the Mood』でコラボレーションした[3]

2006年4月、テキサス州オースティンでのハン・ベニンク

スタイル

ベニンクのスタイルは、従来のジャズ・ドラムから非常に型破りなフリー・インプロヴィゼーションまで多岐にわたり、ステージ上のファウンド・オブジェクト(椅子、音楽スタンド、楽器ケース)、自分の体(お気に入りのデバイスはドラムスティックを口に入れて、もう一方のスティックで叩くこと)、パフォーマンス・スペース全体(床、ドア、壁)をよく使用する。彼は頻繁に鳥の鳴き声や、その他の好きなものを何でも利用している(1990年代のトロントでの特にマッドキャップにおけるパフォーマンスの1つは、床に置かれた耳をつんざくような火災報知ベルであった)。

ディスコグラフィ

以下は、ハン・ベニンクによる録音の一部のリストである[4]

ソロ・アルバム

  • Solo (1970年、Instant Composers Pool)
  • Nerve Beats (1973年、UMS, ALP, Atavistic)
  • Solo - West/East (1979年、FMP)
  • Tempo Comodo (1982年、Data Records)
  • Serpentine (1997年、Songlines Recordings)
  • Nerve Beats (2001年、Atavistic)
  • Amplified Trio (2007年、Treader Records)
  • Parken (2009年、ILK Music)

リーダー・アルバム

  • Instant Composers Pool (1968年、Instant Composers Pool) ※with ミシャ・メンゲルベルクジョン・チカイ
  • Derek Bailey & Han Bennink (1972年、Ictus) ※with デレク・ベイリー
  • A European Proposal (Live In Cremona) (1979年、Horo) ※with ミシャ・メンゲルベルク、ポール・ラザフォード、マリオ・スキアーノ
  • 『円環の幻想』 - Spots, Circles, and Fantasy (1988年、FMP) ※with セシル・テイラー
  • 『3』 - 3 (1997年、VIA Jazz) ※with ミケル・ボルストラップ 、エルンスト・グレラム
  • Jazz Bunker (2000年、Golden Years Of New Jazz) ※with ユージン・チャドボーン、近藤等則
  • Free Touching (Live In Beijing At Keep In Touch) (2004年、Noise Asia) ※with Wong Young、アンドレアス・シュライバー、デニス・レア、ステフェン・ショーン、クラウディオ・パンティン
  • Home Safely (2004年、Favorite) ※with カーティス・クラーク、エルンスト・グレラム
  • 3 (2004年、55 Records) ※with ミケル・ボルストラップ 、エルンスト・グレラム
  • BBG (2005年、Favorite) ※with ミケル・ボルストラップ 、エルンスト・グレラム
  • 『Monk Vol.1』 - Monk Volume One (2008年、Gramercy Park Music) ※with ミケル・ボルストラップ 、エルンスト・グレラム
  • Laiv (2010年、Bassesferec) ※with ファブリツィオ・パグリッシ、エルンスト・グレラム
  • Sonic Boom (2010年、816) ※with ユリ・ケイン

脚注

  1. ^ ハン・ベンニンク」の表記もある。
  2. ^ https://www.allmusic.com/artist/p6096
  3. ^ Olderen, Martin van, I'm In The Mood, Linernotes OLCD 7002, 1993
  4. ^ Han Bennink”. EFI.Group.Shef.ac.uk. 2016年3月30日閲覧。

外部リンク




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