ハンヌ・ティヒネン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/23 22:55 UTC 版)
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名前 | ||||||
本名 | ハンヌ・ティヒネン | |||||
ラテン文字 | Hannu Tihinen | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | フィンランド | |||||
生年月日 | 1976年7月1日(41歳) | |||||
出身地 | ラッピ県ケミンマー | |||||
身長 | 190cm | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF (CB) | |||||
利き足 | 右 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
1993-1996 1997-2000 2000-2002 2001 2002-2006 2006-2010 | PSケミ HJK バイキング → ウェストハム (loan) アンデルレヒト チューリッヒ | 77 (12) 65 ( 8) 71 ( 8) 8 ( 0) 101 (14) 116 ( 9) | ||||
代表歴 | ||||||
1997-2010 | フィンランド | 76 ( 5) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ハンヌ・ティヒネン(Hannu Tihinen, 1976年7月1日 - )は、フィンランド・ケミンマー出身の元同国代表の元サッカー選手。
ティヒネンは、フィンランド, ノルウェー, イングランド, ベルギー, スイスのクラブでプレーしてきた。
経歴
クラブ
ティヒネンは、1997年にヴェイッカウスリーガのHJKヘルシンキへ移籍する前に下部リーグのパロセウラ・ケミ・キングスでキャリアを開始した。HJKでは、1度リーグ優勝とフィンランドカップ優勝の2冠を達成し、UEFAチャンピオンズリーグ 1998-99を経験した。その後、2000年にエリテセリエンのバイキングFKへ移籍した。バイキングで2年半過ごした中、プレミアリーグのウェストハム・ユナイテッドFCで短期間レンタルを経験した。ウェストハムでは、2000-01シーズンのFAカップでマンチェスター・ユナイテッドFCに1-0と大金星を挙げた試合でプレーしていた。[1]2002年にジュピラーリーグの名門RSCアンデルレヒトへ移籍した。ベルギーでは4年過ごし、2度リーグ優勝をした。チームとの契約が満了した2006年夏に、FCチューリッヒと3年契約を結んだ。ティヒネンは、そこでキャプテンを務め2006-07, 2008-09シーズンと2度リーグ優勝をした。
2009年9月30日に、UEFAチャンピオンズリーグ 2009-10のグループリーグCのACミラン戦で試合開始10分にミラン・ガイッチのCKからヒールでゴールを決めた。これが決勝ゴールとなり、チームは大金星を挙げた。[2]
2010年5月7日に、ティヒネンは主に頭部負傷の理由から2009-10シーズン終了後に引退することを発表した。2010年5月16日に、ヌーシャテル・ザマックスとアウェーで3-3で引き分けた試合が最後になった。[3]引退後は助監督としてチームに残ることとなった。[4]
クラブレベルで数々のタイトルを獲得してきたこと、代表レベルでは76キャップを記録し、UEFA欧州選手権予選とFIFAワールドカップ予選を戦ってきたことが讃えられて2011年1月11日に、特別賞が授与された。[5]2012年2月9日には、選手協会の新会長になった。[6]
2012年にフィンランドサッカー協会の会長を務めていたサウリ・ニーニストが同国の大統領に就任しポストが空いたため、35歳になったティヒネンは、2012年4月13日にフィンランドサッカー協会の会長戦に立候補をすることを表明した。[7][8]
代表
1999年6月5日のトルコ代表戦でフィンランド代表デビューをし、その試合でゴールを決めた。2000年代の殆どをサミ・ヒーピアとCBのコンビを組んでいた。
代表での得点
- スコア欄はフィンランドの得点を左側に記している
# | 日付 | 場所 | 相手 | スコア | 結果 | 大会 |
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1. | 1999年6月5日 | ヘルシンキ | トルコ | 2–4 | 敗北 | UEFA EURO 2000予選 |
2. | 2001年8月15日 | ヘルシンキ | ベルギー | 4–1 | 勝利 | 親善試合 |
3. | 2002年10月12日 | ヘルシンキ | アゼルバイジャン | 3–0 | 勝利 | UEFA EURO 2004予選 |
4. | 2005年9月7日 | タンペレ | マケドニア | 5–1 | 勝利 | 2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
5. | 2009年9月5日 | ランカラン | アゼルバイジャン | 2–1 | 勝利 | 2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
ヘルメット
ティヒネンは、キャリアの間に何度も頭を負傷した。そのせいで最後のシーズンはヘルメットを着用してプレーした。
所属クラブ
- パロセウラ・ケミ・キングス 1993-1996
- HJKヘルシンキ 1997-2000
- バイキングFK 2000-2002
- → ウェストハム・ユナイテッドFC (loan) 2001
- RSCアンデルレヒト 2002-2006
- FCチューリッヒ 2006-2010
脚注
- ^ "Di Canio sinks Man Utd"
- ^ ミラン、ティヒネンの一発にまさかの黒星
- ^ "Hannu Tihinen hyvästeli viheriöt"
- ^ "Hannu Tihinen lopettaa peliuransa - siirtyy johtoportaaseen"
- ^ "Hannu Tihiselle erikoispalkinto"
- ^ "Hannu Tihisestä jalkapallon Pelaajayhdistyksen uusi puheenjohtaja"
- ^ "Hannu Tihinen mukaan Palloliiton puheenjohtajakisaan"
- ^ "Hannu Tihinen pyrkii Palloliiton johtoon"
外部リンク
- TransferMarkt
- ハンヌ・ティヒネン - Soccerbase
- ハンヌ・ティヒネン - National-Football-Teams.com
- ハンヌ・ティヒネンのページへのリンク