ハリス襲撃未遂事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 05:40 UTC 版)
「幕末の外国人襲撃・殺害事件」の記事における「ハリス襲撃未遂事件」の解説
初代駐日領事に任命されたタウンゼント・ハリスは、安政3年7月21日(1856年8月21日)、下田に到着し、玉泉寺に領事館を構えた。ハリスは大統領親書の提出のために江戸出府を望むが、幕閣では水戸藩の徳川斉昭ら攘夷論者が反対し、江戸出府は留保された。しかし安政4年10月にハリスは出府し、10月21日(1857年12月7日)に将軍徳川家定に謁見した。このハリスの動きに対し、水戸藩郷士堀江芳之助、蓮田東藏、信田仁十郎らがハリスの襲撃を計画したが、目的は果たせなかった。安政4年11月27日(1858年1月11日)、一同は自訴し、同5年4月4日(5月16日)獄に投ぜられた。
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