ハビエル・パレデス
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 22:12 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はパレデス、第二姓(母方の姓)はアランゴです。(Template:スペイン語圏の姓名) |
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名前 | ||||||
本名 | ハビエル・パレデス・アランゴ Javier Paredes Arango |
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ラテン文字 | Javier Paredes | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1982年7月5日(39歳) | |||||
出身地 | オビエド | |||||
身長 | 175cm | |||||
体重 | 77kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
利き足 | 左足 | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ハビエル・パレデス(Javier Paredes Arango, 1982年7月5日 - )はスペイン・アストゥリアス州オビエド出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー(左サイドバック)。
経歴
初期の経歴とヘタフェ
地元のレアル・オビエドからデビューしたが、オビエドは2002-03シーズン終了後にセグンダ・ディビシオン(2部)からセグンダ・ディビシオンB(3部相当)に降格となり、パレデスはセグンダ・ディビシオンBのレアル・マドリード・カスティージャに移籍して2シーズンプレーした。2005年にはヘタフェCFに移籍し、8月28日のレアル・ソシエダ戦 (2-0) でプリメーラ・ディビシオン(1部)デビューを飾った。マリアーノ・ペルニアが左サイドバックのレギュラーであり、2005-06シーズンは7試合に出場しただけだったが、2006年夏にペルニアがアトレティコ・マドリードに移籍したため、パレデスが絶対的なレギュラーとなった。
サラゴサ
2007年夏、レアル・サラゴサと5年契約を交わした[1]。当初はフアンフランの控えであり、シーズン中にフアンフランを押しのけて定位置を獲得したが、迷走を続けたクラブは2007-08シーズン終了後にセグンダ・ディビシオン降格となった。2008-09シーズンもレギュラーポジションを維持し、1シーズンでのプリメーラ・ディビシオン昇格を果たした。2009年夏にはイヴァン・オブラドヴィッチが加入し、2009-10シーズンは20試合の出場に留まったが、最も多く起用された左サイドバックであり続けた。2010年夏にはホセ・アウレリオ・ガイ監督に余剰戦力とみなされ、練習への参加を制限された。9月初旬の練習中、パレデスとガイ監督は乱闘寸前の激しい口論となり[2]、パレデスはクラブから出場停止処分を受けた[3]。11月にはガイ監督が解任されてメキシコ人のハビエル・アギーレ監督が就任し、パレデスはチームに復帰してレギュラーに返り咲いた。2011-12シーズンは左サイドバックではなくセンターバックとして起用されることが多かった。
アルバセテ
2015年1月、アルバセテ・バロンピエとの契約を締結[4]。
所属クラブ
- 2001-2003
レアル・オビエド
- 2003-2005
レアル・マドリード・カスティージャ
- 2005-2007
ヘタフェCF
- 2007-2014
レアル・サラゴサ
- 2015-2016
アルバセテ・バロンピエ
- 2017
CDエブロ
脚注
- ^ Zaragoza snap up Paredes UEFA.com、2007年6月26日
- ^ Paredes se revuelve contra Gay al término del entrenamiento El Periódico de Aragón、2010年9月3日 (スペイン語)
- ^ El Real Zaragoza abre un expediente disciplinario a Javier Paredes El Periódico de Aragón、2010年9月3日 (スペイン語)
- ^ “Rojas abre paso a Paredes, nuevo jugador del Albacete”. VAVEL España (2015年1月9日). 2016年4月24日閲覧。(スペイン語)
外部リンク
- ハビエル・パレデスのページへのリンク