ノヴァーク・デジェーとは? わかりやすく解説

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ノヴァーク・デジェー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 12:18 UTC 版)

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この項目では、ハンガリー語圏の慣習に従い、名前を姓名順で表記していますが、インド・ヨーロッパ語族風にデジェー・ノヴァークと表記することもあります。(Template:ハンガリー人の姓名
ノヴァーク・デジェー
デジェーの胸像
名前
本名 ノヴァーク・デジェー
ラテン文字 Novák Dezső
基本情報
国籍  ハンガリー
生年月日 (1939-02-03) 1939年2月3日
出身地 ヴァシュ県ヤーク
没年月日 (2014-02-26) 2014年2月26日(75歳没)
身長 174cm
体重 78kg
選手情報
ポジション DF
利き足 右足
ユース
1951-1954 エジハーザシュラードーク
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1955 ソンバトヘイ・ポスターシュ
1956-1961 ソンバトヘイ・ハラダーシュ 82 (12)
1961-1972 フェレンツヴァーロシュ 251 (57)
代表歴
1959-1968  ハンガリー 9 (3)
監督歴
1973 フェレンツヴァーロシュ
1976-1980 ドゥナウーイヴァーロシュ
1980-1983 フェレンツヴァーロシュ
1984-1985 バヤイ
1985-1986 ヴォラーン
1986-1987  ハンガリー U-23
1987-1988 ソンバトヘイ・ハラダーシュ
1989-1994 ドイチュクラウツ
1990-1992  ハンガリー U-23
1994-1996 フェレンツヴァーロシュ
1997 アル・イテハド
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ノヴァーク・デジェーハンガリー語: Novák Dezső1939年2月3日 - 2014年2月26日)は、ハンガリーの元サッカー選手、元サッカー指導者。元ハンガリー代表。選手時代のポジションはDF

クラブ歴

1956年にソンバトヘイ・ハラダーシュで1部所属選手となった。

1961年にフェレンツヴァーロシュTCに移籍すると、ネムゼティ・バイノクシャーグIを4回制した他、UEFAカップ1971-72ではベスト4に残る活躍に貢献し、1972年に引退した。引退試合は1975年6月7日に行われた。

代表歴

1959年10月25日に行われたスイス代表戦で途中出場し代表初出場を記録、この試合は8-0で勝利した[1]。翌年のローマオリンピックにも参加し銅メダルを獲得した。その後も東京オリンピックメキシコシティーオリンピックに参加し両方で金メダルを獲得した。

監督歴

1972年に現役を引退したが、そのままフェレンツヴァーロシュに残ってリザーブチームの監督に就任した。翌年にトップチームの監督も経験した。

参考文献

  1. ^ ハンガリー - スイス”. transfermarkt. 2022年5月16日閲覧。

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