ノヨン・オール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/02/21 00:33 UTC 版)
ノヨン・オール(モンゴル語: Ноён уул)またはノイン・ウラとは、モンゴルのウランバートル北方、トゥブ県にある山で、西暦紀元前後の匈奴の古墳群によって知られる。
遺跡
ノヨン・オールのノヨンは領主、オールは山を意味する[1]。
ノヨン・オールには200を越える古墳群があることで知られる[2]。古墳はほとんどが方墳で、横から見ると低い台形をしていた[3]。
出土遺品には容器・装身具・玉器・馬具・車蓋類・装具類などがあったが、大部分は中国のものであり、漆器には建平5年(紀元前2年)の銘があった[2][4]。絹織物も多数出土した。一方、棺の下に敷いた毛氈や壁飾りの装飾はスキタイ・サルマタイの文物の特徴を持つという[2]。
ノヨン・オール遺跡は1924年から1927年にかけてピョートル・コズロフ率いるソ連の探検隊によって調査された。出土品はエルミタージュに集められたが、中国製品が多かったために、中国考古学に通じた梅原末治が研究に参加した[5]。ところがその後、研究者の多くがスターリンの大粛清の犠牲となり、報告書は長く刊行されなかった。梅原は日本で『蒙古ノイン・ウラ発見の遺物』(東洋文庫1960)を刊行した[5]。ソ連ではその後1962年にセルゲイ・イワノヴィチ・ルデンコによる研究書が出版された。一方1950年代にはモンゴルによる発掘も行われた[6]。
脚注
参考文献
- 林俊雄 『スキタイと匈奴:遊牧の文明』 講談社〈興亡の世界史02〉、2007年。ISBN 9784062807029。
外部リンク
- 『貴重書で綴るシルクロード:大草原に生きた馬たち:モンゴル馬と汗血馬』 国立情報学研究所ディジタル・シルクロード、2005年 。
- State Hermitage Museum :: Noin Ula, Silk Road Seattle
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