ドン・パノスとは? わかりやすく解説

ドン・パノス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/29 18:08 UTC 版)

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ドン・パノス

ドン・パノス(Don Panoz、本名:ドナルド・ペイノーズ(Dr. Donald Panoz)、1935年2月13日 - 2018年9月12日)は、アメリカ合衆国の企業家。IMSA会長、名誉副会長を務めた。

米国の後発医薬品(ジェネリック医薬品)製薬大手のマイランの共同創業者の一人であり、退社後はアメリカン・ル・マン・シリーズ(ALMS)の買収、息子のダニエル・パノスが創業したスポーツカーメーカー・パノスへの出資など、米国のモータースポーツ界に多大な貢献をしている。

生い立ち

1935年2月13日イタリアからの移民二世としてオハイオ州アライアンス(Alliance)に生まれた。

ウェストバージニア州ルイスバーグ(Lewisburg)のグリーンブライヤー・ミリタリースクール(Greenbrier Military School)に通い、後の妻ナンシーと出会う。二人はその後、ともに在日米軍での勤務を経て、ピッツバーグに帰国した。

実業家として

帰国後、まずはデュケイン大学で経営を学ぶ傍ら、2件のドラッグストアを運営した。 1960年、ミラン・パスカーと共同でミラン・ファーマシューティカルズ(Milan Pharmaceuticals、のちのマイラン)を創立し、経営の陣頭指揮を執るとともに、ニコチンパッチの開発・商品化にあたった。

しかし、ニコチンパッチをめぐる社内の対立に巻き込まれ、1969年にマイランを退社すると、やはり彼が創業したエラン(Élan)社のあるアイルランドに移住した。 パノス夫妻はその会社をニコチンパッチのリーディング・カンパニーに育て上げた。

その他、ワイナリーやスパリゾートなどの経営にも乗り出し、巨万の富を築き上げた。

モータースポーツ界への貢献

1989年、ドンは息子のダン・パノスが自動車メーカー・パノスを創業するのにあたり、資金提供した。当初ドンは息子の会社の成功に懐疑的であったとされた。しかし、自らのレーシングチームをル・マン24時間レースに参戦させ、マリオ・アンドレッティのようにモータースポーツ界で名声を得たい、という野望のため、ドンはビジネス界で築いた地位を存分に生かし活動した。

パノス・モータースポーツは1997年にパノス・エスペランテGTR-1(Panoz Esperante GTR-1)を製造してル・マンに参戦を果たした。

1999年、パノスはヨーロッパスタイルのカーレースをアメリカに普及させることを目指し、アメリカン・ルマン・シリーズを創設した。

死去

2018年9月12日、膵臓癌のため死去[1]。83歳没。

所有する企業・資産など

今日パノスが所有する企業・資産のうち、主なものを下に挙げる。

脚注

  1. ^ エスペラント、デルタウイングなどの生みの親、ドン・パノス氏が死去 auto sport web、2018年9月12日

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