ドルトムント=エムス運河とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > デジタル大辞泉 > ドルトムント=エムス運河の意味・解説 

ドルトムントエムス‐うんが【ドルトムントエムス運河】


ドルトムント-エムス運河

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/02 04:35 UTC 版)

ドルトムント-エムス運河
Dortmund-Ems-Kanal
運河の概略地図
特長
全長 223.45マイル (359.61 km)
運営者 デュイスブルク=マイデリッヒ・ライネ・メッペン水路船舶管理局
歴史
建設開始 1892年
完成 1899年
地理
始点 ドルトムント港
終点 パーペンブルク近郊
テンプレートを表示
ドルトムント-エムス運河
凡例
ドルトムント南港
ドルトムント市港
ドルトムント石炭港
ドルトムントマルクス港
ドルトムントシュミーディング港
フランツィウス橋
ドルトムント石油港
1.440 ドルトムント-エムス運河起点
1.986 ドイゼン橋
クロイエンバッハカルバート
3.196 ハルデンベルク鉄道橋
3.201 ハルデンベルク鉄道橋
ハルデンベルクカルバート
3.509 リンデンホルスト橋
3.855 ハンザ・ハルデンベルク橋
ホルトハウゼン保安水門
ホルトハウゼンバッハカルバート
シュヴィーリングハウゼンバッハカルバート
6.607 シュヴィーリングハウゼン橋
7.141 炭鉱鉄道橋
ヘーレントイヤーバッハカルバート
7.462 アウトバーン 2
7.832 グロッペンブルッフ橋
グロッペンバッハカルバート
8.821 ドルックス橋
グロッペンブルッフ保安水門
10.562 ヴァルトロップハーフェン橋
ヴァルトロプ港(廃止)
ハーディックスバッハカルバート
12.216 シュルケン橋
13.335 オーバーヴィーザー橋
ヴァルトロプ閘門群
14.757 ヘンリヘンブルクボートリフト
旧閘門外港
15.585 ヘーベヴェルクス橋
15.590 ベトリープスブリュッケ閘門
15.590 レックリングホイザー橋
15.600 旧ボートリフト
ヘンリヘンブルクポンプ場
ライン-ハーネ運河
旧ボートリフト外港
15.652 ルーカス橋
リューネンモーターボートクラブ
16.670 鉄道橋
16.959 ヒバーニアグ橋
エルミューレンバッハカルバート
18.390 新レーリングホフ橋
ダッテルン-ハム運河
20.329 ヴァルトロプ通り橋
ダッテルン港(廃止)
20.734 ダッテルン港橋
ヴェーゼル-ダッテルン運河
ダッテルン保安水門
ペルクマー道に架かる運河橋
リッペ川に架かる運河橋
24.379 オルフェン-フィンヌマー橋
オルフェン-ザイム 国道236号に架かる運河橋
オルフェン旧水路
シュテーファー川に架かる運河橋
シュリーカー保安水門
29.415 シュリーカー橋
YCDEオルフェンマリーナ
カルバート
カルバート
32.191 グルーベ橋
33.063 カール-フォン-ハルトマン橋 国道235号
カーテンベルクバッハカルバート
カルバート
34.763 ゼッペンラーダー橋 国道58号
セッペンラーダー・バッハカルバート
カルバート
リューディングハウゼン旧水路
36.280 リューディングハウゼン鉄道橋
36.835 オントループ橋
カルバート
リューディングハウゼン保安水門
リューディングハウゼン旧水路
ゼンデン
39.909 ベレンブロッカー橋
グローネンバッハカルバート
リューディングハウゼン旧水路
ゼンデン
クロイターバッハカルバート
43.195 ヒディングゼラー橋
ノンネンバッハカルバート
ヘルマーバッハカルバート
43.307 シェーリング橋
シュテーファー川カルバート
リューディングハウゼン旧水路
ゼンデン
ゼンデン保安水門
47.193 ゼンデン保安水門歩行者橋
転回点
48.424 ゼンデン橋 国道235号
デュマーカルバート
49.964 シュルツェ-トンベルク橋
トンベルクマリーナ
オファーバッハ川
52.944 フェナー・モーア橋
カンネンバッハ川
54.411 ハウス・カンネン橋
55.183 アメルスビューレン橋 アウトバーン 1
ツア・ベルガーブリュッケ港
55.805 ベルガー橋
カルバート
57.067 アメルスビューレン鉄道橋
57.248 アメルスビューレン橋
アメルスビューレン港
ゲッターバッハカルバート
58.679 インクマン橋
ヒルトルプ旧水路
エンマーバッハ川カルバート
60.459 ヒルトルプ橋 国道54号
61.575 ヒルトルプ鉄道橋
エンマーバッハ川カルバート
ヒルトルプ旧水路
62.405 プリンツ橋
62.455 オストトーア-シュトラッセン橋
64.723 レヒテンベルク運河橋
64.979 ロッデンハイデ橋
66.360 ミュンスターRCG港
66.379 ウムゲフングシュトラッセン橋 国道51号
66.570 ヘリバート・ビュシャー港
66.693 ヴェストファリア・ラント鉄道橋
67.292 6月17日橋
ミュンスター港
68.005 シラー・ストリート橋
68.509 ヴォルベッカー・シュトラッセン橋
69.017 ラール-ランドヴェク橋
69.648 プライシュターミュレンヴェク橋
グラエルバッハカルバート
70.070 プロツェッシオンヴェク橋
70.270 マウリッツ鉄道橋
70.288 ヴァレンドルフ・シュトラッセン橋
モナステリアマリーナ
71.400 ミュンスター閘門
71.428 第2・第3ディングスティーグ橋
71.592 シュロイゼン鉄道橋
ミュンスターポンプ局
72.313 シフファールター・ダム橋
73.240 コーアハイデ港(廃止)
73.339 クライマン橋
エーデルバッハカルバート
75.600 ゲルメア石油港
76.276 ヘッセンヴェグ橋
ベックシェムバッハカルバート
ミュンスターボートセンター
77.865 ゲルメア橋
フエシュトルップ保安水門
フエシュトルップ旧水路
78.806 エムス川に架かる運河橋
フエシュトルップ保安水門
79.193 フエシュトルップ橋
79.322 ランデスシュトラッセン橋
フエシュトルップ旧水路
80.568 ボックホルト橋
ゲッレンバッハカルバート
カルバート
81.553 トップホーフス=ミューレン橋
シュトロートバッハカルバート
82.628 グントループ橋
84.224 ベファーナー橋
カルバート
エルティングミューレンバッハカルバート
85.609 シュメデハウゼン橋
85.840 シュメデハウゼン港
リュトケ・ベーケカルバート
87.620 ラードベルゲン・グレンツ橋
88.056 ラードベルゲン橋 アウトバーン 1
88.739 シュルツェ=ファールヴィック橋
ミューレンバッハカルバート
90.885 ヴェストラードベルゲン橋 国道475号
転回点
91.500 ラードベルゲン港
レハーゲンバッハカルバート
ラードベルゲン保安水門
ブスマンスバッハカルバート
94.500 レンゲリヒ・ダム橋
ミューレンバッハカルバート
96.200 ブロヒターベック橋
フロッテカルバート
カルバート
98.440 ダスマン橋
カルバート
99.423 デーレンテ橋 国道219号
転回点
99.740 デーレンテ港
ミューレンバッハカルバート
101.353 ロイスマン橋
ミューレンバッハカルバート
102.462 ビルグテ橋
カルバート
103.765 カッペレン橋
カルバート
リーセンベック港
105.197 リーゼンベック・ハーフェン橋
106.039 リーゼンベック・ドルフ橋
メルシュグラーベンカルバート
107.188 ベルゲスヘーフェーデ橋
WSV建設港
ミッテルラント運河
「湿った三角点」
108.600 ベルゲスヘーフェーデ閘門
108.628 ベルゲスヘーフェーデ歩行者橋
109.300 ベファーゲルン閘門
109.300 閘門操作用の橋
109.460 ベファーゲルン閘門橋
109.700 ベファーゲルン小閘門
110.230 ドライアーヴァルデ橋
ロッデ小閘門(廃止)
112.500 ロッデ閘門
112.630 ロッデ閘門橋
ブルヒグラーベン
112.970 ロッデ鉄道橋
113.332 ロッデ・シュールヴェク橋
114.445 エッピング橋
114.920 ライン・ハーフェン橋
ライネ鉄鋼港
115.290 テックレンブルク北鉄道橋
115.600 ライネ港
116.278 エクセラー橋
アルテンライネ・ブルヒグラーベンカルバート
116.960 ショマク橋
117.240 シュールヴェク橋
117.900 アルテンライネ閘門
118.000 アルテンライネ閘門橋
パシェナウ
118.970 アウトバーン 30橋
119.939 オッフェンベルク橋
120.710 アルテインライネ鉄道橋
カルバート
ノルトライン=ヴェストファーレン州 - ニーダーザクセン州境界
122.910 シュペレ-フェンハウス港
シュペレ-フェンハウス港
123.430 リンゲンダム橋 国道70号
カルバート
フェンハウス小閘門
126.700 フェンハウス閘門
126.730 フェンハウス閘門橋
128.981 インブス橋
130.766 クンケミュール橋
ヘッセルテ・バッハカルバート
132.294 ヘッセルテ橋
ヘッセルテ小閘門
134.500 ヘッセルテ閘門
134.560 ヘッセルテ大閘門橋
カルバート
136.698 ブラームシェ橋
137.900 グレーゼン閘門
グレーゼン小閘門
137.923 グレーゼン閘門橋
エムス川上流
グローセ・アー川
ベンテラー鉄工所港
139.740 ハーネケンフェーア鉄道橋
139.750 ハーネケンフェーア道路橋
エムス-フェヒテ運河
エムス川分岐
ハーネケンフェーア堰
閘門操作橋
140.680 ハーネケンフェーア単扉室閘門
140.800 単扉室閘門橋
カルバート
エムス-ハーゼ運河(旧水路)
カルバート
142.745 コーシュルテン橋
142.940 国道213号バイパス橋
カルバート
144.148 メーデル橋
ダルム港
シュトロートバッハカルバート
145.510 リンゲン運河通り橋
145.900 リンゲン旧港
146.500 リンゲン新港(廃止)
リンゲン・ミューレンバッハカルバート
146.690 リンゲン歩行者橋
146.958 キルヒホーフス橋
カルバート
148.490 旧リンゲン橋
150.830 ホルトハウス橋
151.100 リンゲン石油港
カルバート
152.450 国道70号バイパス橋
153.170 ビーン橋
カルバート
オスターブロック石油港(廃止)
155.546 ゲーシュテ橋
158.120 ファルロー閘門
158.220 ファルロー閘門橋
カルバート
161.750 ハール橋
163.890 メッペン閘門
163.990 メッペン閘門橋
165.353 ハルテ橋
ハーゼ川
166.050 バウホーフス橋
メッペン・エムス港(廃止)
166.430 ハーゼ可動橋
エムス川
167.250 国道70号バイパス橋
ローハイデヨットハーバー
ローハイデ東三日月湖
ローハイデ西三日月湖
ノルトラッデ川
170.200 国道402号バイパス橋
ヴィーゼングラーベン
ヴィーゼングラーベン
エムス川 / ヒュンテルバイパス運河
171.500 ボルケン橋
172.290 ヘムゼン通学歩行者橋
ヒュンテル・デュッカー
173.210 ヘムゼン橋
174.130 ヒュンテル閘門
174.250 ヒュンテル閘門橋
エムス川 / ヒュンテルバイパス運河
クーフェーングラーベン
176.600 エムスラントユーロ港
エムス川 ハーレン三日月湖
177.692 国道408号バイパス橋
エムスパーク・ハーレンヨットハーバー
ヴェスヴェブロックグラーベン
ハーレン-リューテンブロック運河
178.310 ハーレン・エムス橋
エメルナー・バッハ
ハーレン旧港
178.900 ハーレン新港
ブラウエ・ドナウ港
ブラウエ・ドナウマリーナ
エムス川 ハーレン三日月湖
シェプフヴェルクスグラーベン
マースバッハ
エムス川 ヒルターバイパス運河
エムス川三日月湖
185.890 ヒルター閘門
185.940 ヒルター閘門橋
シェプフヴェルクスグラーベン
エムス川 ヒルターバイパス運河
ジールグラーベン・ラミング
ジールグラーベン・ヒリング
ラーテン競技ボート港
ヒルター-ラーテン-グラーベン
191.000 フィトゥス橋
エムス川 デュテバイパス運河
ラーテン港
ラーテン・ベーケ
エムス川三日月湖
フレーゼンブルク歩行者橋
メルシュトループ・ベーケ
193.100 フレーゼンブルク橋
フレーゼンブルク港
194.800 道路橋
195.070 デュテ閘門
195.200 デュテ閘門橋
フレーゼンブルク・グラーベン
フーゼン・ベーケ
エムス川 デュテバイパス運河
ジールグラーベン・ズストゥルムI
198.190 シュタインビルト橋
エムスタルマリーナ
シュタインビルト三日月湖
ヴァルフーム溝渠
アーレン・ジールグラーベン
エムス川三日月湖
キュステン運河
205.028 ボーリンガーフェーア橋 国道401号
エムス川 ボーリンガーフェーアバイパス運河
205.930 ボーリンガーフェーア閘門
206.100 ボーリンガーフェーア閘門橋
ダーズーマー溝渠
エムス川 ボーリンガーフェーアバイパス運河
レーア・オストグラーベン
エムス川三日月湖
ゴールドフィッシュデファー
エムス川三日月湖
エムス川 ハーブルムバイパス運河
211.820 ハーブルム橋
212.560 ハーブルム閘門
エムス川三日月湖
エムス川 ハーブルムバイパス運河
ガルゲンバーググラーベン
216.780 レーデ橋
レーデ エムス川三日月湖
ダンケンシュロット
ブルアラー溝渠
トゥンクスドルファー・アヘ
エムス川三日月湖
グレーゼン-パーペンブルク支線運河
225.120 ハルテ橋
225.820 ドルトムント-エムス運河終点
マイヤー・ヴェルフト
パーペンブルク・ジール運河
エムス川
シュヴェリングハウゼンの炭鉱港
シュヴィーリングハウゼンの旧炭鉱港
ヘーベヴェルク・ヘンリヒェンブルクにおける運河、夕方の情景
リューディングハウゼン付近のドルトムント-エムス運河
ミュンスターラント/ゼンデン付近のドルトムント-エムス運河
ミュンスターにおけるドルトムント-エムス運河
ドルトムント-エムス運河からミッテルラント運河の分岐点
ラーテン北方のデュター閘門
ドルトムント-エムス運河を流れる流氷

ドルトムント-エムス運河(ドルトムント-エムスうんが、ドイツ語:Dortmund-Ems-Kanal、略号DEK、水路番号70501)は、ドイツノルトライン=ヴェストファーレン州ニーダーザクセン州において、ドルトムント港とパーペンブルクドイツ語版およびエムス川を結んでいる連邦水路である[1]。管理を担当しているのは、ダッテルンドイツ語版までがデュイスブルク=マイデリッヒ水路船舶管理局、グレーゼンまでがライネ水路船舶管理局、パーペンブルクまでがメッペン水路船舶管理局である。

経路

ドルトムント-エムス運河は、ドルトムント港の1.44キロメートル地点と、ライン-ハーネ運河ドイツ語版の終点である旧ヘンリヘンブルクボートリフトドイツ語版の2か所から始まる。ここから人工的な水路として運河が続き、リンゲンの南のグレーゼンの138.3キロメートル地点においてエムス川に合流するが、ハーネケンフェーアドイツ語版の140キロメートル地点において再びエムス川から分岐する。ここからドルトムント-エムス運河は、1828年に建設されたエムス-ハーゼ運河ドイツ語版と並行して、165.9キロメートル地点にあるメッペンドイツ語版ハーゼ川ドイツ語版合流点まで進む。そこから経路はハーゼ川の合流地点を通り、流水管理されたエムス中流域を212.6キロメートル地点にあるハーブルム閘門ドイツ語版へと続く。ここから、エムス川のパーペンブルクまではドルトムント-エムス運河とみなされる。終点は225.82キロメートル地点にあり、この地点で内陸水路から海運船舶水路に移行し、エムス川下流キロ程0.0キロメートル地点となる。ドルトムント-エムス運河の総延長は223.45キロメートルである[2]。1968年以降は、IV級水路(ヨーロッパ船の規格)となっているが、ドルトムント港からヴェーゼル-ダッテルン運河分岐までの区間はVb級水路となっている。グレーゼンとハーネケンフェーアの間およびメッペンより下流における船舶運航は、エムス川の増水に影響を受ける可能性がある。

ドルトムント-エムス運河は、水位が10段階ある[3]。ハインリヘンベルクおよびミュンスターのエムス川への下り、テックレンブルガー・ラントのベルゲスヘーフェーデにあるミッテルラント運河との分岐点の北側108.4キロメートル地点、ベファーゲルン、ロッデ、アルテンハイネ、フェンハウス、ハッセルテ、グレーゼン、ファルローそしてメッペンに水位差がある。さらにエムス川には5か所の堰があり[3]、フンテル、ヒルター、デューテ、ボーリンガーフェーア、ハーブルムである。さらに、エムス川の増水時のみ運用されるハーネケンフェーアの堰がある。もっとも高いハーネ-ミュンスターからの高低差は56.5メートルである。高い水位の区間の水はリッペ川からの水とミュンスターの閘門におけるポンプアップによる水で得られており、例外的にヴェーゼル-ダッテルン運河からライン川の水と、ミッテルラント運河のミュンスター-アンダーテン区間からのヴェーザー川の水が使われる。

ドルトムント-エムス運河には2010年現在、160本の鉄道橋・道路橋・歩行者橋が架かっており、他に6本のパイプライン・ケーブル用の橋、59か所のカルバート、139か所のパイプライン・ケーブルのアンダーパスがある。事故発生の際に、運河の上流および下流を仕切って、一度にすべての運河が干上がってしまわないようにする9か所の保安水門が設置されている。

1899年のドルトムント-エムス運河開通時、経路はドルトムント港からエムデン港までで、キロ程は265キロメートルまであった。エムス川下流の30.3キロメートル地点において、全長9キロメートルの支線運河が内陸船舶水路として、潮汐の影響を受けるオルダーズム閘門およびエムデン港ドイツ語版のボルスマー閘門で分岐している。運河のこの区間が建設されたのは、当時のはしけを連ねた船にとって、特にエムデン港を出入りする際にドラート湾ドイツ語版の波の高さが荒天時に高くなりすぎるからであった。この部分はエムス-ジャーデ運河ドイツ語版にもつながっており、エムデンからヴィルヘルムスハーフェンへと通じている。

当初から、パーペンブルクより下流のエムス川はアウリッヒの地域長官の管理のままであり、パーペンブルクからドルトムントまでの区間がミュンスターにあるドルトムント-エムス運河の管理当局に属した。結果として1968年の連邦水路法により、ドルトムントからパーペンブルクまでが連邦水路のドルトムント-エムス運河となり、エムデンの支線運河がそれとは独立した連邦水路のエムス支線運河ドイツ語版となった[1]。このため、パーペンブルクからオルダーズムまでのエムス川の範囲はドルトムント-エムス運河ではなくなった。

歴史

1824年から1828年にかけての時点で、エムス-ハーゼ運河ドイツ語版(ハーネケン運河)がリンゲンの南のハーネケンフェーアからメッペンのハーゼ川まで、全長25キロメートルのエムス川の支線運河として建設された。ドルトムント-エムス運河建設時に、この運河は拡張工事を受けてほぼ全区間がドルトムント-エムス運河に取り込まれた。

ドルトムント-エムス運河は、7年に及ぶ建設期間を経て、最初の大規模内陸水路として1899年8月11日にドイツ皇帝ヴィルヘルム2世臨席により厳粛に開通した。しかしこの時点で既に使用は開始されていた。エムデン市長のレオ・フュアブリンガードイツ語版は1899年5月にアウリッヒ県ドイツ語版の首長に対して、「4月の終わりにかけて、1,200トンのスウェーデン産鉄鉱石を積んだ最初の汽船が到着し、3日間かけて降ろされた。1899年5月3日には鉱石を積んだ最初の運河の船がドルトムントに到着した」と報告していた[4]。運河の建設理由は、ルール地方の産品を運びきれなくなっていた鉄道を救済し、また1880年代から輸入されたイギリス産石炭との競争が展開されていたルール産の石炭の使用を促進することにあった。同時に、ルール地方が外国産の鉱石を必要としているということもあった。特に東ルール地方の鉄鋼業はライン川沿岸の鉄鋼業に比べて、運河の開通により位置的な不利を縮小することができた。

この結果、ドルトムント-エムス運河は予想していなかったほどの交通量の増加に伴い、何度も拡張を行うことになった。1943年の時点で、当初予想されていた年間450万トンを大きく超える、年間約1800万トンに達していた。船の大きさの拡大、速度の遅かった曳航式の船から自航貨物船への移行、そして1970年代初頭にはプッシャーバージの導入などが行われた。拡大の焦点は、ドイツにおける水路網の東西連絡の一環として、ドルトムント/ハーネからベルゲスヘーフェーデでミッテルラント運河が分岐するまでの南区間に置かれていた。第二次世界大戦後、ルール地方の製鉄所にとって、エムデンが鉱石輸入港となったことから、北区間の重要性が拡大した。

1915年時点で既に、ミュンスターからグレーゼンまでの区間で有効寸法67メートル×8.6メートルの閘門が、バージ牽引用の165メートル×10メートルの寸法のもので補完された。ミュンスターでは225メートル×12メートルの寸法の3番目の閘門が1926年に運用開始された。第二次世界大戦後の北区間の拡大の中で、ファルローからハーブルムまでの区間は1952年から1966年にかけて、165メートル×12メートルの2番目の閘門を備えるようになり、またテグリンゲンには揚程7.5メートルで有効長165メートルと100メートルの2つの閘門を備えた閘門群が設置されて、古いメッペンの運河を省略できるようにした。そしてミュンスター閘門群では、古い小さな2個の閘門が、閘室寸法190メートル×12.5メートル、揚程6.2メートルの二重閘門[3]で置き換えられた。上流側にはフラップゲートを、下流側にはマイターゲートを備えている。上流へ向かう船と下流へ向かう船の同時通航では、上流から取水して下流へ放流する水の量を、通常の16,000立方メートルから8,000立方メートルに節約することができる。最初の閘門は2009年に運用を開始し、2番目の閘門が2014年4月に運用を開始した。

ドルトムント-エムス運河の拡張は、とても広範囲に行われた。1927年に、ライン川を通航する標準船舶サイズに基づいて、輸送能力1,500トンの標準が制定された。南区間では、土地の買収を節約するために、既存の区間の断面拡大に際して、片側にシートパイルを打ち込む工法が採用された。また交差する水路のカルバートや橋についても更新する必要があった。水位を上げたために、より大きな空頭高を確保するべく、橋の位置を上げる必要もあった。しかし、運河橋ドイツ語版や大規模なカルバートがあって、既存の水路の有効幅を18メートルに制約しているところでは、古い水路を放棄して、隣接してより余裕のある寸法の第2水路が建設された。

7か所の新水路が建設されたうち、最初のオルフェン新水路は全長8キロメートルで、1937年に完成した。水位の高い水路を備えており、4か所の鋼鉄製運河橋がリッペ川、シュテファー川、2本の道路に架かっている。戦争のために、全長7キロメートルのリューディングハウゼン-ゼンデン新水路およびヒルトルップ新水路の完成は戦後のこととなった。こんにち、ヒルトルップ旧水路以外の旧水路はもはや使われておらず、一部は撤去され、一部はビオトープとして用いられている。

1945年以降、戦争被害の修復という特別な期間があった。運河の側面が破壊されて一部の区間で水が失われていたほか、特に橋の破壊により陸路が遮断されているのみならず、水路も遮断されている状態にあった。ドルトムント-グレーゼン間の運河だけで、150に上る橋がほぼ破壊されていた。イギリス占領軍が水路の迅速な啓開を行い、1946年初頭には水運が再開された。1956年末までに橋の70パーセントが復旧され、1960年末までには90パーセントが復旧された。

特徴

ドルトムント-エムス運河にあるもっとも有名な構造物は、船が14メートルの高低差を克服するために造られた、ヴァルトロプドイツ語版にあるヘンリヘンブルク旧ボートリフトドイツ語版である。このボートリフトは1899年から1962年まで稼働していた。1914年に2×5の節水装置を備えた立坑式閘門がこれを補完し、1962年には新しいボートリフトが置き換えた。1989年には、立坑式閘門が2個の節水装置を備えた新しい閘門に置き換えられた。こんにち、ドイツでもっとも古い旧ボートリフトと立坑式閘門は、LWL産業博物館ドイツ語版の一部となっている。

ヘンリヘンブルクより上流の運河区間は鉱業の影響を受ける区間であり、地盤沈下は13メートル以上にも及ぶ。この結果、運河の両側の築堤は周辺の地盤に対して高くなっていく。ドルトムント市街地ではグロッペンブルフおよびシュヴィーリングハウゼン地区において、地盤沈下のために、2008年にシートパイルを打ち込んで両側の築堤を高くする工事が行われた。

ここから数キロメートル北に行くと、ドルトムント-エムス運河、ヴェーゼル-ダッテルン運河ドイツ語版ダッテルン-ハム運河ドイツ語版という3つの水路に沿った町ダッテルンドイツ語版に到達する。ヨーロッパ全体の構成から見れば、これら3つの運河はダッテルン港で接続している。このダッテルン運河交差点ドイツ語版は、ライン川の水運に次いで、ドイツ西部内陸水運の心臓部となっている。

運河の経路上、リッペ川シュテーファー川ドイツ語版エムス川および3か所の道路を橋で越えている。オルフェン旧水路およびフエシュトルップ旧水路にある、川を横断する運河橋は、3つのアーチをそれぞれ備えた巨大なヴォールト構造物であり、リッペ川に架かる橋は高さ15メートルで川を越えている。

他にそれほど明確ではないが技術的な特徴点としては、郡道COE29号(旧国道235号)をオルフェンにおいて旧水路が横断する部分がある。斜めに架けられた橋はヴォールト構造で、運河の軸とヴォールトの軸が60度を成している。こうした斜めの橋の静的応力計算の問題は、この建設時点で初めて習得されたものであった。

エムス川中流域の、除去することが難しく容量上の制約となっている部分の代替として、エムスビューレンドイツ語版の北のグレーゼンからパーペンブルクまで、新しい運河を建設する計画は、第二次世界大戦前からあった。このプロジェクトは1937年から1941年まで推進されたが、戦争のために放棄された。仮にこのルートが将来必要とされることがあれば、用地の80パーセントは既に連邦政府が所有していることもあり、拡張工事はいつでも可能である(グレーゼン-パーペンブルク支線運河ドイツ語版も参照)。

運河に沿って、一部興味深い周辺地域への迂回をしつつ、エムス川にも沿って北海の河口まで、全長350キロメートルに及ぶドルトムント-エムス運河ルートドイツ語版という自転車道がある。

建設方法

ライン川からルール地域を経由して東部経済地域まで、大型自航貨物船やプッシャーバージ用に連続した高い能力の水路を整備するために、ミッテルラント運河の分岐点までのおよそ105キロメートルに及ぶドルトムント-エムス運河南区間の拡大は、重要なギャップの解消であった。この拡大工事には、2013年までのミュンスターの二重閘門の建設に加え、運河の幅の拡大、より幅の広い新しい運河橋への架け替え、新しい橋や桟橋の建設といったものがあった。

拡大工事は、航行を止めずに行われた。2005年10月11日に、ドルトムント-エムス運河がリッペ川を越える23キロメートル地点において、漏洩が発生した。この結果、シュリーカー保安水門[3]からダッテルン保安水門までの全長8キロメートルにわたり、運河が干上がった。ミッテルラント運河やヴェーザー川からの貨物船は、数週間にわたりルール工業地域へ行くのにパーペンブルクを通りオランダを周る300キロメートル以上の迂回をしなければならなかった。そこに、2005年10月15日、自航貨物船"Ilona M"が、パーペンブルク付近の219キロメートル地点において座礁事故を起こした。これにより数日にわたり北部バイパス区間は閉鎖され、双方向で航行が完全停止することになった。12月15日になってようやく、ドルトムント-エムス運河は双方向に航行可能となった。2006年3月10日には、リッペ川を越えるドルトムント-エムス運河建設現場において再び漏洩が検知された。この際もまた、2か所の保安水門が閉鎖されて水が抜かれた。

また、ベルゲスヘーフェーデからパーペンブルクまで、ドルトムント-エムス運河の北区間およそ118キロメートルの区間に対しても、ヨーロッパ船や大規模自航貨物船に対して連続した運航の改善を行うための改良が計画された。ニーダーザクセン州での建設は、グレーゼン閘門から2014年半ばに始まり、使用開始は2018年/2019年、ノルトライン=ヴェストファーレン州での建設は、ロッデ閘門から2015年半ばに始まり、使用開始は2019年半ばと計画された。この2か所の閘門が使用可能となったら、ベファーゲルン閘門も改良を計画している。ニーダーザクセン州の閘門は2022年までに完全に使用可能となり、ノルトライン=ヴェストファーレン州の閘門は2025年までに完全に使用可能となることになっている。ベファーゲルン閘門周辺の改良完成は2029年半ばを予定しており、これによりベファーゲルンからグレーゼンまでが改良完成することになる[5]

運河沿いの自治体

ドルトムント - ヴァルトロプドイツ語版 - ダッテルンドイツ語版 - オルフェンドイツ語版 - リューディングハウゼン - デュルメン - ゼンデン - ミュンスター - グレーヴェン - イベンビューレン - ヘルステル - ライネ - フェンハウスドイツ語版 - エムスビューレンドイツ語版 - リンゲン - ゲーステドイツ語版 - メッペンドイツ語版 - ハーレンドイツ語版 - ラーテン - フレーゼンブルクドイツ語版 - デルペンドイツ語版 - レーデドイツ語版 - パーペンブルクドイツ語版

参考文献

  • Bernd Ellerbrock: Der Dortmund-Ems-Kanal. 265 Kilometer Wasserstraße von A–Z. DGEG Medien, Hövelhof 2017, ISBN 978-3-946594-11-6.
  • M. Eckoldt (Hrsg.): Flüsse und Kanäle. Die Geschichte der deutschen Wasserstraßen. DSV-Verlag, 1998.
  • Atlas zur Zeitschrift für Bauwesen, 51. Jahrgang 1901, diverse Tafeln. Download bei der Zentral- und Landesbibliothek Berlin
  • Atlas zur Zeitschrift für Bauwesen, 52. Jahrgang 1902, diverse Tafeln. Download bei der Zentral- und Landesbibliothek Berlin
  • Emsländischer Heimatbund (Hrsg.): 100 Jahre Dortmund-Ems-Kanal. Die Geschichte einer Wasserstraße im Emsland. Verlag des Emsländischen Heimatbundes, Sögel 1999, ISBN 3-88077-136-7.
  • Wasserstraßendirektion Münster u. a. (Hrsg.): Fünfzig Jahre Dortmund-Ems-Kanal. Buschmann, Münster 1949.
  • Hubert Berentelg: Die Entwicklung des Verkehrs auf dem Dortmund-Ems-Kanal und sein Einfluß auf den Seeverkehr Emdens. Lammersdorf, Haselünne 1913.
  • Michael Kösters-Kraft: Arbeiterrekrutierung und Wanderarbeit beim Bau des Dortmund-Ems-Kanals. Münster 1996.
  • Michael Kösters-Kraft: Großbaustelle und Arbeitswanderung. Niederländer beim Bau des Dortmund-Ems-Kanals 1892–1900. Universitäts-Verlag Rasch, Osnabrück 2000, ISBN 3-932147-18-9. (Zugleich: Münster (Westfalen), Universität, Dissertation, 1995).
  • Wolfgang R. Krabbe: Arbeitssituation und soziale Lage der Arbeiter beim Bau des Dortmund-Ems-Kanals. In: Landschaftsverband Westfalen-Lippe (Hrsg.): Das Schiffshebewerk Henrichenburg. Hagen 1985, ISBN 3-921297-58-3.
  • P. H. Mertes: Zur Vorgeschichte des Dortmund-Ems-Kanals. In: Schiffahrtverband für das westdeutsche Kanalgebiet (Hrsg.): Die Straße, die alle Ströme vereint. Hundert Jahre Kanalgedanke. Dortmund 1957.
  • Rad-Route Dortmund-Ems-Kanal. Vom Ruhrgebiet zur Nordseeküste. (Karte im Maßstab 1 : 50.000) BVA Bielefelder Verlagsanstalt, Bielefeld 2009, ISBN 978-3-87073-461-9.

脚注

  1. ^ a b Chronik über den Rechtsstatus der Reichswasserstraßen/Binnenwasserstraßen des Bundes”. Wasser- und Schifffahrtsverwaltung des Bundes. 2016年7月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年7月20日閲覧。
  2. ^ Gliederung Bundeswasserstraßen”. Wasser- und Schifffahrtsverwaltung des Bundes. 2016年1月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年7月2日閲覧。
  3. ^ a b c d DIN 4054 Verkehrswasserbau; Begriffe; September 1977
  4. ^ Walter Deeters: Geschichte der Stadt Emden von 1890 bis 1945. In: Ernst Siebert, Walter Deeters, Bernard Schröer: Geschichte der Stadt Emden von 1750 bis zur Gegenwart. (Ostfriesland im Schutze des Deiches, Bd. 7). Verlag Rautenberg, Leer 1980, DNB-IDN 203159012, S. 211.
  5. ^ Dortmund-Ems-Kanal Nordstrecke – Ausblick, abgerufen am 14. April 2013

外部リンク



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ドルトムント=エムス運河」の関連用語

ドルトムント=エムス運河のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ドルトムント=エムス運河のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのドルトムント-エムス運河 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS