トラビス・リー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/21 15:42 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動基本情報 | |
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国籍 | ![]() |
出身地 | カリフォルニア州サンディエゴ |
生年月日 | 1975年5月26日(45歳) |
身長 体重 |
6' 3" =約190.5 cm 220 lb =約99.8 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 一塁手、外野手 |
プロ入り | 1996年 アマチュアFA |
初出場 | 1998年3月31日 |
最終出場 | 2006年9月1日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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国際大会 | |
代表チーム | ![]() |
五輪 | 1996年 |
この表について
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オリンピック | ||
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野球 | ||
銅 | 1996 | 野球 |
トラビス・レイノルズ・リー(Travis Reynolds Lee, 1975年5月26日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴ出身の元プロ野球選手(一塁手、外野手)。左投左打。
経歴
サンディエゴ州立大学時代の1996年には全米アマチュア野球最高の選手に贈られるゴールデンスパイク賞を受賞している。アトランタオリンピックでは野球アメリカ合衆国代表として出場し、4番に座った[1]。準決勝で日本に11対2で敗れたが、銅メダルを獲得した。
この年のMLBドラフト1巡目(全体2位)でミネソタ・ツインズから指名されるが、規定の期限までに契約条件を提示されなかったとして指名の無効を求めて提訴した。その後、自由契約選手として認められ、1998年に加盟が決まっているアリゾナ・ダイヤモンドバックスに1000万ドルの超高額契約金で入団した。
1998年3月31日、メジャーデビューとなったコロラド・ロッキーズとのシーズン開幕戦(ダイヤモンドバックス球団としての初陣でもある)では「3番・一塁手」で先発出場していきなり3安打(初回の安打は球団史上初の安打)、6回裏にはダリル・カイルから球団史上初の本塁打を放っている[2]。この年は正一塁手として146試合に出場して打率.269、22本塁打、72打点、8盗塁を記録した。
フィラデルフィア・フィリーズへ移籍後の2001年も20本塁打、90打点を記録したが、その後は頭打ちとなった[3]。
タンパベイ・デビルレイズに在籍した2006年が最後のメジャーでのプレーとなった。
詳細情報
背番号
- 16(1998年 - 2000年途中、2001年 - 2003年、2005年 - 2006年)
- 10(2000年途中 - 同年終了)
- 38(2004年)
代表歴
脚注
- ^ 「'98 INAUGURAL SEASON ㊗︎新球団誕生 アリゾナ・ダイヤモンドバックス」『月刊メジャー・リーグ』 1998年6月号 ベースボール・マガジン社 23頁
- ^ “Colorado Rockies at Arizona Diamondbacks Box Score, March 31, 1998” (英語). Baseball-Reference.com. 2020年1月16日閲覧。
- ^ 出野哲也『改訂新版 メジャー・リーグ人名事典』言視舎、2013年、659頁。ISBN 978-4-905369-67-7。
関連項目
外部リンク
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