トニー・ドリゴとは? わかりやすく解説

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トニー・ドリゴ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/16 16:06 UTC 版)

トニー・ドリゴ
名前
本名 Anthony Robert Dorigo
基本情報
国籍 イングランド
オーストラリア
生年月日 (1965-12-31) 1965年12月31日(58歳)
出身地 アデレード
身長 175cm
選手情報
ポジション DF
ユース
アデレード・シティ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1983-1987 アストン・ヴィラ 111 (2)
1987-1991 チェルシー 146 (11)
1991-1997 リーズ・ユナイテッド 171 (5)
1997-1998 トリノ 30 (2)
1998-2000 ダービー・カウンティ 41 (1)
2000-2001 ストーク・シティ 36 (0)
代表歴
1986-1988 イングランドU-21 11 (0)
1989-1993 イングランド 15 (0)
1989-1992 イングランドB 7 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

トニー・ドリゴ(Tony Dorigo、1965年12月31日 - )は、オーストラリアアデレード出身の元プロサッカー選手。元サッカーイングランド代表。現役時代のポジションは、DF

経歴

クラブ

父はイタリア人[1]。10代でイングランドに渡り、トライアルを経てアストン・ヴィラFCと契約した。

1987年、47万5千ポンドチェルシーFCに移籍。加入初年度、チームはセカンドディビジョンに降格してしまったが、チームのベストプレーヤーに選出された。チームに残留すると、1年でファーストディビジョン復帰を果たした。チェルシーでは180試合に出場し、11ゴールを挙げた。

1991年夏、リーズ・ユナイテッドAFCに130万ポンドで移籍。リーズでも中心選手として活躍し、1991-92シーズンのチームMVPに選ばれた。

1997年、トリノFCに移籍。1シーズンプレーした後、トリノの財政問題からダービー・カウンティFCに移籍。

2000年、ストーク・シティFCに移籍。シーズン終了後、35歳で現役引退を表明。

代表

1986 FIFAワールドカップ・予選の際、オーストラリア代表の招集を受けたが、アストン・ヴィラのトニー・バートン監督が拒否した[1]

1989年のユーゴスラヴィア戦でイングランド代表デビュー。UEFA欧州選手権1988ではケニー・サムソンのバックアッパーとしてサプライズ選出された。1990 FIFAワールドカップにも出場し、3位決定戦のイタリア戦でデビッド・プラットの同点ゴールをアシストした。

所属クラブ

ユース
プロ

代表歴

タイトル

クラブ

チェルシー
  • フットボールリーグ・セカンドディビジョン (1): 1988–89
  • フル・メンバーズ・カップ (1): 1990
リーズ・ユナイテッド

個人

脚注

  1. ^ a b Made In Australia: Tony Dorigo”. FourFourTwo (2011年12月16日). 2013年10月7日閲覧。

外部リンク




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