ティモシー・アトゥバとは? わかりやすく解説

ティモシー・アトゥバ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/20 05:51 UTC 版)

ティモテー・アトゥバ
アヤックス時代(2009年)
名前
ラテン文字 Timothée Atouba
基本情報
国籍 カメルーン
生年月日 (1982-02-17) 1982年2月17日(42歳)
出身地 ドゥアラ
身長 190cm
体重 80kg
選手情報
ポジション DF / MF (LSB, LMF)
利き足 左足
ユース
1996-1999 ユニオン・ドゥアラ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1999-2000 ユニオン・ドゥアラ 16 (4)
2000-2002 ヌーシャテル 46 (2)
2002-2004 バーゼル 72 (3)
2004-2005 トッテナム 18 (1)
2005-2009 ハンブルガー 83 (1)
2009-2011 アヤックス 1 (0)
2012-2014 ラス・パルマス 8 (1)
代表歴2
2000-2008 カメルーン 44 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2017年5月21日現在。
2. 2010年1月24日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ティモテー・アトゥバTimothée Atouba, 1982年2月17日 - )は、カメルーンドゥアラ出身の同国代表サッカー選手。ポジションはDFMF

経歴

2000年、アフリカネイションズカップで優勝した。2003年、FIFAコンフェデレーションズカップで準優勝した。2004年のアフリカネイションズカップで活躍し、2004年6月にはトッテナム・ホットスパーFCと契約した。1年をイングランドで過ごしたのち、2005年7月にハンブルガーSVへ移籍した[1]

2006年、UEFAチャンピオンズリーグPFC CSKAモスクワ戦において、2失点に関与したアトゥバに対してスタンドのファンからボールに触れるたびに野次が巻き起こった。アトゥバはそれに対し中指を突き立て、69分に交代した後も罵倒を繰り返した。スタンドからはビールと思われるカップが投げ込まれるなど混乱し、レフェリーにより交代後にも関わらずレッドカードを示された[2]

2008年、アフリカネイションズカップで準優勝したが、有望株のブノワ・アスー=エコトにポジションを奪われがちになった。

2009-10シーズンより、マルティン・ヨルの誘いを受けてアヤックス・アムステルダムに移籍金なしで加入した。ヨルとはトッテナム、ハンブルガーでも同僚だった。翌シーズン限りで同クラブを去りフリーとなった。

2012年11月11日、セグンダ・ディビシオンUDラス・パルマスに加入することが発表された[3]

タイトル

クラブ

バーゼル
ハンブルガー
アヤックス

代表

カメルーン

脚注

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