ティトゥス・ディディウス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/22 05:56 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動![]() ティトゥス・ディディウス T. Didius T. f. Sex. n. | |
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出生 | 不明 |
死没 | 紀元前89年 |
出身階級 | プレブス |
氏族 | ディディウス氏族 |
官職 |
護民官(紀元前103年) 法務官(紀元前101年) 前法務官(紀元前100年-99年) 執政官(紀元前98年) 前執政官(紀元前97年-93年) |
指揮した戦争 |
対スコルディスキ戦争 対ケルティベリア戦争 |
ティトゥス・ディディウス(Titus Didius、- 紀元前89年)は共和政ローマのノウス・ホモの政治家・軍人。紀元前98年に執政官(コンスル)を務めた。ウィラ・プブリカ(en:Villa Publica、ケンソル執務役所)を修復し[1]、またヒスパニア・キテリオル属州総督としての悪名で知られている。
経歴
ディディウスの最初の公職は、紀元前103年の護民官に始まる[2]。2年前のアラウシオの戦いでのクィントゥス・セルウィリウス・カエピオの壊滅的敗北に対して、同僚護民官のガイウス・ノルバヌスはカエピオの責任を問うべく告訴していたが、ディディウスはこれに拒否権を行使しようとしたことが注目される[2](カエピオは結局ローマから亡命している)。2年後の紀元前101年、ディディウスは法務官(プラエトル)に就任、マケドニア属州に派遣されてスコルディスキに勝利している[2]。ローマに戻った紀元前100年には凱旋式を実施した[3]。紀元前98年には執政官に就任。同僚執政官はクィントゥス・カエキリウス・メテッルス・ネポスであった。執政官としてウィラ・プブリカを修復するとともに[1]、二つの無関係な提案を一つの法律として提出することを禁止する法案を制定している[4]。
執政官としての任期を終えた後の紀元前97年から紀元前93年まで、ディディウスは前執政官(プロコンスル)としてヒスパニア・キテリオル(近ヒスパニア)属州の総督を務めた[2]。この4年間、ほとんどがケルティベリア人との戦いにあけくれた[2]。ディディウスは何度も勝利を収め、アレウァキ族(en)20,000を殺し、テルマンティア(現在のソリア県ティエルメス)の反乱を鎮圧し、コレンダを9ヶ月間包囲して降伏させ、女子供を奴隷として売り払った.[5]。ディディウスは「略奪者」の街を壊滅させたとして二度目の凱旋式を実施している[6]。しかし、実際には財産を失った貧しい人々が集団で暮らしていただけであった。ディディウスはこれらの人々に土地を提供すると誘い、家族と共にローマのカストラ(砦)に悪意無く集まってきたところを、全員殺害した[5]。歴史家アッピアノスは、ディディウスの異常な残虐さと裏切り行為のため、ヒスパニアの反乱はさらに激しくなり、後任者であるガイウス・ウァレリウス・フラックスはその鎮圧に多大な労力を要することになったと述べている[7]。
ヒスパニアでの任務を終えた後には同盟市戦争が始まり、ディディウスは紀元前90年には執政官ルキウス・ユリウス・カエサル(ユリウス・カエサルの叔父)の、紀元前89年には執政官ルキウス・ポルキウス・カトとルキウス・コルネリウス・スッラのレガトゥス(副官)として戦っている[2][8].ヘルクラネウム占領の直後、紀元前89年6月11日にディディウスは戦死した[2]。
出典
- ^ a b Makin, Ena. "The Triumphal Route, with Particular Reference to the Flavian Triumph." The Journal of Roman Studies 11(1921) 27. JSTOR 295885
- ^ a b c d e f g Broughton, Robert. The Magistrates of the Roman Republic.
- ^ Cicero, "In Pisonem." http://www.perseus.tufts.edu/cgi-bin/ptext?doc=Perseus%3Atext%3A1999.02.0020&layout=&loc=Pis.+60
- ^ Cicero, "de Domo Sua." <http://www.perseus.tufts.edu/cgi-bin/ptext?doc=Perseus%3Atext%3A1999.02.0020&layout=&loc=dom.+53>
- ^ a b Appian, History of Rome. http://www.livius.org/ap-ark/appian/appian_spain_20.html#%A7100
- ^ William Smith, "T. Didius." Dictionary of Greek and Roman Biography and Mythology. 1870. http://www.ancientlibrary.com/smith-bio/1011.html
- ^ Leonard A. Curchin, Roman Spain: Conquest and Assimilation (Routledge, 1991), p. 41 online.
- ^ Cicero, "Pro Fonteio." http://www.perseus.tufts.edu/cgi-bin/ptext?doc=Perseus%3Atext%3A1999.02.0019&layout=&loc=Font.+43
関連項目
公職 | ||
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先代: アウルス・ポストゥミウス・アルビヌス マルクス・アントニウス・オラトル |
執政官 同僚:クィントゥス・カエキリウス・メテッルス・ネポス 紀元前98年 |
次代: グナエウス・コルネリウス・レントゥルス プブリウス・リキニウス・クラッスス |
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