チャーリー・バーネット_(1954年生)とは? わかりやすく解説

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チャーリー・バーネット (1954年生)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/03 08:23 UTC 版)

チャーリー・バーネット
Charlie Barnett
生年月日 (1954-09-23) 1954年9月23日
没年月日 (1996-03-16) 1996年3月16日(41歳没)
出生地 アメリカ合衆国 ウェストバージニア州
死没地 アメリカ合衆国 ニューヨーク
ジャンル コメディアン俳優
主な作品
DCキャブ
特捜刑事マイアミ・バイス
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チャーリー・バーネット英語: Charlie Barnett、1954年9月23日 - 1996年3月16日)は、1970年代後半から1980年代はじめ頃に活躍したアメリカ合衆国スタンダップコメディアン俳優である。

略歴

1954年にウェストバージニア州ブルーフィールドで生まれる。父親は精神疾患を患い、母親はアルコール依存症だったため祖母に育てられた。11歳のときにブルーフィールドを飛び出し母親が住むボストンに移るが、わずか1年後には母親に追い出されてしまい、不良集団に加わって違法薬物や窃盗などの犯罪に加担した。

19歳になってニューヨークに移り住んだ彼は、独学でコメディアンとしてのスキルを身に着けていき、1970年代後半ごろからワシントン・スクエア公園で披露するスタンダップコメディの人気者になった。一般にはほとんど知られていないが、当時の彼のパフォーマンスは多くのスタンダップコメディアンにとって今日でも伝説になっているという[1]

1980年に『サタデー・ナイト・ライブ』のオーディションを受けたとき、番組のプロデューサーは彼を受け入れる準備が出来ていたが、バーネットはそのチャンスを放棄した。原因は彼の識字力の低さにあり、カメラの近くに置かれるキューカード(カンニングペーパー=カンペ)を素早く読み取れないからだった。後に彼は「人前で文字を読むのが怖かった」と告白している[2]。その結果バーネットのために用意されていたポストに就いたのは19歳のエディ・マーフィだった。

1983年に『D.C.キャブ』で映画デビュー。1984年に始まった『特捜刑事マイアミ・バイス』の情報屋ヌーギー役で一般にも広く知られるようになった。しかし番組出演中に違法薬物に関わっていたことから主演のドン・ジョンソンが彼との共演を拒んだため、出演回数はわずか6回に留まった。ドン・ジョンソンも違法薬物に手を出した経験があるが、番組が始まる前に苦労の末克服した経緯がある。

薬物の乱用からHIVに感染し[3]、1996年3月に合併症により41歳で亡くなった。

出演作品

 公開年  邦題

原題

役名 備考
1983 D.C.キャブ
D.C.Cab
タイロン・バイウォーター
1984-1987 特捜刑事マイアミ・バイス
Miami Vice
ヌーギー・ラモント テレビシリーズの6エピソード
1985   パトカーアダム30
T.J.Hooker
シドニー テレビシリーズの1エピソード
狙われた二人
My Man Adam
リロイ
Beer 本人
1986 ノーバディーズ・フール
Nobody's Fool
ニック            
Charlie Barnett's Terms of Enrollment 多数の役 ビデオリリース
1988 Mondo New York 本人 ドキュメンタリー
1992 Def Comedy Jam 本人 コメディショー
1996 They Bite Larry コメディショー

脚注




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