ダニエル・ファン・ブイテン
(ダニエル・ファン・バイテン から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/25 06:50 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動
![]() |
この存命人物の記事には検証可能な出典が不足しています。信頼できる情報源の提供に協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。(2017年2月)
|
|
||||||
---|---|---|---|---|---|---|
![]()
2013年のファン・ブイテン
|
||||||
名前 | ||||||
ラテン文字 | Daniel VAN BUYTEN | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ![]() |
|||||
生年月日 | 1978年2月7日(41歳) | |||||
出身地 | シメイ | |||||
身長 | 197cm | |||||
体重 | 95kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | CB | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1997-1999 | ![]() |
18 | (1) | |||
1999-2001 | ![]() |
57 | (7) | |||
2001-2004 | ![]() |
76 | (12) | |||
2004 | →![]() |
5 | (0) | |||
2004-2006 | ![]() |
61 | (7) | |||
2006-2014 | ![]() |
158 | (20) | |||
代表歴 | ||||||
2001-2014 | ![]() |
84 | (10) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ダニエル・ファン・ブイテン[1](Daniel Van Buyten [ˈdaːniəl vɑn ˈbœy̆tən] 発音、1978年2月7日 - )はベルギー・シメイ出身の元サッカー選手。元ベルギー代表。ポジションはディフェンダー(センターバック)。
197cmの体躯を生かし、バイエルン・ミュンヘンやベルギー代表で長く活躍した。
経歴
クラブ
1997年にシャルルロワでプロサッカー選手としてのキャリアをスタートする。デビュー当時はストライカーだったが、センターバックに転向し、その後も197cmの屈強なディフェンダーとして名を馳せていく。スタンダール・リエージュを経て、2001年にフランスの強豪マルセイユに移籍。ここでは空中戦の強さを生かし、在籍2年半でリーグ戦76試合12得点を記録した。2003-04シーズンの後半戦にはイングランドのマンチェスター・シティにシーズン終了までの期限付き移籍をするも[2]、リーグ戦5試合の出場に留まった。マルセイユに戻った2004年の夏、ドイツのハンブルガーSVに加入。ここでもディフェンダーながら初年度にリーグ戦5得点をマーク、2005-06シーズンにはクラブはブンデスリーガで3位に食い込んだ[3]。
2006年にバイエルン・ミュンヘンに移籍すると、初年度からルシオの相方としてレギュラーとして出場。続く2シーズンはマルティン・デミチェリスやルシオの控えに回るも、2009年にルシオがインテルに移籍すると、再びレギュラーに復帰しリーグ戦とカップ戦のタイトルを獲得。UEFAチャンピオンズリーグも決勝まで進むも、奇しくもルシオが移籍したインテルに敗戦し3冠達成とはならなかった。その後は、ホルガ―・バトシュトゥバーやジェローム・ボアテングの後塵を拝することになるも、2012-13シーズンにクラブは再びリーグ戦とカップ戦を制し、さらにはチャンピオンズリーグも優勝し、ドイツ史上初の3冠を達成した。自身もチャンピオンズリーグのタイトルを掲げた初のベルギー人選手となった[3]。
2014年6月に8年間過ごしたバイエルン・ミュンヘンとの契約が切れると、 ブラジルワールドカップ終了後の同年8月15日に現役引退を発表した[4]。
代表
2001年2月、2002 FIFAワールドカップ欧州予選のサンマリノ戦で代表の初キャップを踏み、同年5月のデビュー2試合目となるスコットランド戦で初ゴールを決めた[5]。
2002年のワールドカップ本選のメンバーにも選出。開催国日本との初戦を含むグループリーグ3試合にフル出場し、チームのグループリーグ突破に貢献。続く決勝トーナメント1回戦では、この大会で優勝することになるブラジルと当たり、自身はフル出場するも0-2で敗れて大会を去ることになった[6]。
その後も、自身は着実に代表でのキャリアを積み上げるも、チームはFIFAワールドカップやUEFA EUROの大舞台に立つことができない時期が続く。
しかし、2014 FIFAワールドカップ欧州予選では黄金世代の台頭があり、他チームを圧倒しグループを首位で通過。自身も5試合に出場し、12年ぶりとなるメジャー大会の本選出場権を手に入れた。本大会には、ベルギー代表唯一のメジャー大会本選経験者として参戦し、全5試合にフル出場。チームのベスト8進出を支えた。
人物
父親はイワン・バイテンのリングネームを持つプロレスラーのフランツ・ファン・ブイテン、母親はドイツ人である。
タイトル
クラブ
- バイエルン・ミュンヘン
- ブンデスリーガ 2007-08, 2009-10, 2012-13, 2013-14
- DFBポカール 2007-08, 2009-10, 2012-13, 2013-14
- DFLリーガポカール 2007
- DFLスーパーカップ 2010, 2012
- UEFAチャンピオンズリーグ 2012-13
- UEFAスーパーカップ 2013
- FIFAクラブワールドカップ 2013
- ハンブルガーSV
- UEFAインタートトカップ 2005(但し優勝は上位3クラブ)
脚注
- ^ 名前のうちVanは「ヴァン」「バン」とも、Buytenは「バイテン」「バウテン」「ビュイテン」「ボイテン」などとも表記される
- ^ “Man City sign Van Buyten” (英語). (2004年1月31日) 2019年1月17日閲覧。
- ^ a b uefa.com. “Daniel Van Buyten” (英語). Uefa.com. 2019年1月17日閲覧。
- ^ “Belgium defender Van Buyten announces retirement” (英語). SBS News. 2019年1月17日閲覧。
- ^ “Daniel Van Buyten - International Appearances”. rsssf.com. 2019年1月17日閲覧。
- ^ FIFA.com. “2002 FIFA World Cup Korea/Japan ™ - Teams - Belgium” (英語). FIFA.com. 2019年1月17日閲覧。
外部リンク
|
||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
固有名詞の分類
ベルギーのサッカー選手 |
ムサ・デンベレ リッチー・デ・ラエト ダニエル・ファン・ブイテン ニコラス・ロンバーツ エデン・アザール |
- ダニエル・ファン・ブイテンのページへのリンク