タデウシュ・バイルトとは? わかりやすく解説

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タデウシュ・バイルト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/23 01:23 UTC 版)

タデウシュ・バイルト
Tadeusz Baird
基本情報
生誕 1928年7月26日
ポーランド、グロジスク・マゾヴィエツキ
死没 (1981-09-02) 1981年9月2日(53歳没)
ポーランドワルシャワ
ジャンル 現代音楽
職業 作曲家

タデウシュ・バイルトTadeusz Baird, 1928年7月26日 - 1981年9月2日)はポーランド現代音楽作曲家

生涯

1928年にグロジスク・マゾヴィエツキで生誕。両親はスコットランドからの移民。

ユネスコ国際作曲家会議で、作曲作品が1959年、1963年、1966年に次々と入賞して国際的に評価された。カジミェシュ・セロツキとともに、現代音楽祭ワルシャワの秋を設立。セロツキ、ヤン・クレンツとともにグループ49を旗揚げし、新古典的な作風からスタートしたが、やがて50年代以後の前衛のイディオムを参照して、独自の音楽性に到達。

トーン・クラスター1960年代にポーランドでも幅広く使用されたが、バイルトの使い方は非常に独特で一定の音域内(たとえばオクターブ)におびただしい声部を絡ませるタイプであった。この使用法が積極的に用いられるのは「交響曲第3番」以降である。また、声部の音名が全て違っており、しかも最も速くと言う指示もなされることがあり、多くの局面で激情的な性格を有する。その音楽性はオーボエ協奏曲で一つの頂点を迎える。

ヴィオラと管弦楽のための Concerto lugubre 以降は、書式や構造等の面で古典化が著しくなり、かつての暴力性は鳴りを潜めた。1981年にワルシャワで急逝。

バイルト作曲コンクール

バイルトの功績を称えて作曲コンクールが行われている。ポーランド人の応募のみ可能な作曲コンクールで、30歳以下の若手のための登竜門となっている。一位が出ないことも稀ではない。

参考文献

  • Tadeusz Baird. Symphony III, Kraków: Polskie Wydawnictwo Muzyczne, 1970.
  • Tadeusz A. Zieliński. Tadeusz Baird, Kraków: Polskie Wydawnictwo Muzyczne, 1966.
  • Bogusław M. Maciejewski. Twelve Polish Composers, London: Allegro Press, 1976.
  • Tadeusz Baird and Izabella Grzenkowicz. Rozmowy, szkice, refleksje: Może jestem za mało muzykiem, Kraków: Polskie Wydawnictwo Muzyczne, 1998, ISBN 8322417837 . (『対話、スケッチ、内省: 私はあまりに未熟な作曲家』)




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